2019年8月31日土曜日

懲りずに再度

 相変わらず翻訳に苦悶している(涙)。が、とにかく、やるしかない。

 さて、以前、ここで自身が関わるレクチャー・コンサートのご案内したが、懲りずにもう一度。今回は出演者の一人、崔理英さんのブログの記事を拝借させていただく:https://sairie.com/info190915/
まことに見事な告知である。
 ちなみに、この崔さんのサイト自体も実によくできており、一人の音楽家のセルフ・マネジメントの優れた実践例だと思う。ぜひ、ごらんあれ:https://sairie.com/

 「《イベリア》による演奏論」はまだ考えがまとまらないところがあるので、続きはもうしばらく先になりそうだ。
 楽譜の「写経」をし、自分でもたどたどしく弾いてみもし、さらに種々の録音を聴くと、実にいろいろなことを考えさせられる。名曲の名曲たる所以だろう。

 クラシック音楽というのはそれに関わる者にとってはまことにお金のかかる芸能であり、そのことにおよそお金と縁がない私は言いようのない疎外感を常に覚え続けてきた。「よいものにお金がかかるのは当然だ!」――そうかもしれない。
 が、「よいもの」とは何か? 近年、「コミュニケーション」や「マネジメント」の問題を考えるようになり、先に述べたような「疎外感」からは解放されつつある。とともに、自分なりの実践の戦略を模索している。