2026年9月26日土曜日

〈ロボット三等兵の歌〉

  渡辺裕先生の『パロディにもほどがある!――〈替え歌〉文化の日本近代』(春秋社、2026年)を目下、とても楽しく読んでいる。そこで展開されている「論」はもちろん、そのためにあげられている具体例がまことに面白い。とともに、自分がこれまでに出会ってきた種々の替え歌を懐かしく思い起こしている。

 その中の1つに、前谷惟光(1917-74。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E8%B0%B7%E6%83%9F%E5%85%89)の名作漫画『ロボット三等兵』に収められていた〈ロボット三等兵の歌〉(という題名だったと記憶しているもの)がある。「歌」といってもそこに記されていたのは歌詞のみであり、〈天に代わりて不義を討つ〉の旋律を用いるよう指示されていた(なお、今回調べたところによると、この曲名は通称で、正式には〈日本陸軍〉が正しいそうだ:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%99%B8%E8%BB%8D_(%E8%BB%8D%E6%AD%8C)。私がこの漫画を貸本屋(!)で借りて読んだのは昭和40年代の終わり頃のことであり、当時の私がそんな歌のことは知るはずもない。そこで同居していた父方の祖母に(なぜかそのときは)弟が尋ねたところ、すぐにそれを歌ってくれ、弟もすぐに替え歌の歌詞でそれを歌ってみせた。その結果、この旋律はしかと私の脳裏に刻み込まれたのである。ただし、替え歌の歌詞とともに。

 その歌詞のすべてを覚えているわけではないが、たとえば上のリンク先にあげられている楽譜でいえば、「ちゅうゆうむそうのわがへいは/かんこのこえにおくられて」とあるところは「朝の三時に起こされて/大根切る手の冷たさよ」であり、最後の「ちかうこころのいさましさ」は「僕はロボット三等兵」となっていたはずだ。ともあれ、私にとっては件の旋律とともに浮かぶのはこの替え歌の歌詞の方であり、それはもはや変えようがない。この旋律は私にとっては軍歌のものではなく、旧日本軍の不条理を笑いのめした漫画の挿入歌のものとしてこれからもあり続けることになるのだろう。

2026年9月24日木曜日

エルネスト・アルフテルのギター協奏曲に魅せられる

  昨日たまたま選んだCDに収められていたエルネスト・アルフテル(1905-89)のギター協奏曲(1969 )(https://www.youtube.com/watch?v=hBtKk7YzMpY&list=RDhBtKk7YzMpY&start_radio=1)にぐっと心を掴まれた。このCDはこれまでに何度も聴いていたにも拘わらず、私の注意・関心は他の曲に向いており、今回、あたかも初めて聴くような感じがした。が、却ってそれがよかったのかもしれない。素直に音楽のありように耳を傾けることができ、その魅力に気づかされたのである。

 ところで、このアルフテルだが、私は彼の名を「ファリャの門弟」として認識していた。彼こそが師の未完の大作《アトランティーダ》を補筆完成した人であり、それを私も聴いてはいるが、私の関心はなぜか当人の作品へは向かわなかったのである。が、今回ギター協奏曲のすばらしさを知り、もっとこの人の曲を聴いてみたいと思った。彼に限らずスペインの音楽にはイタリアまでの西洋音楽にはないテイスト(おそらく、イスラーム世界との交流がもたらしたもの)が感じられ、それがまたよい。

 なお、このエルネストの兄ロドルフォ(1900-87)も作曲家であり、こちらも私にとっては未知の存在だったのだが、これを機会に聴いてみることにしよう。また、この兄弟の甥クリストバル(1930-2021)もまた作曲家であり、その作品にはいくつか触れてはいたものの、やはりこれまで私の関心外であった。が、改めてYou Tubeでいくつか聴いてみるとなかなか面白い。となると、俄に関心がわいてくる。彼の息子ペドロ(1971-)も作曲家(と指揮者)だというから、こちらも気になるところだ。

2026年9月22日火曜日

Noteを利用し始めた

  ホームページをつくる計画はいまだに実現していないが、それまでの繋ぎとして、自分の論考や翻訳をNoteに載せることにした。今日はその第1回として「松本民之助研究ノート(1)」を投稿した(https://note.com/ken_musica1966/n/nfa2c23ee3a50)。これ以外にもいくつかのネタを同時並行して書いていくつもりだが、果たしてどうなることやら。

2026年9月20日日曜日

長谷川潔展を観て

  所用(仕事に非ず)で東京に夫婦で出かけてきた。一泊二日の濃密かつ有意義な時間だったが、その中に版画家・長谷川潔(1891-1980)の展覧会を観ることも含まれていた(https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/26/260711/)。すばらしかった。以前から「気になる」人だったが、時系列で多くの作品に触れたのは今回がはじめてである。

この長谷川もまさに「我が道」をひたすら追究し続けた人だということが展示された作品からはわかる。彼が到達した全く独自の境地はもちろんすばらしいものだったが、そこに到る過程も実に興味深い。長谷川の創作歴それ自体が1つのドラマであり、作品であるように感じられ、まことに見応えのある展覧会だった。

 この長谷川の作品にも私は先日のワイエス同様「静けさ」を強く感じた(もちろん、その内実は異なるが)。のみならず、一見「冷たい」画面の中にもどこか飄々としたユーモアのようなものも感じられ、それがまたよかった。ともあれ、本当によい作品に触れることができ、日々を生きる活力を与えられた。ありがたいことである。それがどんなスタイルであれ、どのような内容であれ、また、どの程度であれ、それに触れることによって「元気になれる」ものが私にとってはよい芸術だと言える。そして、人生の残りの時間(がどれだけあるかは正確なところはわからないにしても、この年齢になれば、少なさを感じずにはいられないもの)を思えば、そうした「よい」芸術以外の芸術は自分には不要である。

2026年9月18日金曜日

渡辺裕先生の新著

  渡辺裕先生から新著をお贈りいただいた。ありがたいことである。先生の著書は常に刺激的なのだが、今回は書名からしてそうだった。『パロディにもほどがある!』というのがそれだ(https://www.shunjusha.co.jp/book/b10193846.html)。この書名を見て驚かされるものの、副題を見るとなるほどと得心がいく。それはすなわち、「〈替え歌〉文化の日本近代」というものである。それにしても、次々と面白いネタを掘り出してくる先生の眼力にはただただ感嘆させられる。のみならず、常にそれを見事に捌いてみせてきたのだから、今回もまたそうなのだろう。というわけで、これから読むのが楽しみだ。

 

 うれしいことにISMLPにダリウス・ミヨーの弦楽四重奏曲の楽譜がすべてアップされた。とりわけ、第12番はずっと見てみたかったのでありがたい。

 また、このサイトには音楽理論関連の著作・楽譜もいろいろアップされていっているが、先日、パリ音楽院の和声コンクール第1等賞受賞(つまり、卒業試験合格)者の答案集があげられていたのには驚く。これはある時期、年ごとに出版されていたもので、今回あげられていたのは1925年のものである(https://imslp.org/wiki/Le%C3%A7ons_d'harmonie_des_%C3%A9l%C3%A8ves_ayant_remport%C3%A9_le_Premier_Prix_aux_Concours_des_Classes_d'Harmonie%2C_Ann%C3%A9e_1925_(Various))。この調子でいずれ他の年のものもアップされるのだろうか? 

2026年9月17日木曜日

ちょっとしたアイディア

  西洋芸術音楽の作曲のコンクールで審査員を務めるのは普通、(概ね「現代音楽」の)作曲家である。もちろん、それが悪いというわけではない。が、審査を演奏家と聴き手に任せるようなものがあってもよいのではなかろうか。

たとえば、独奏ピアノ曲を課題とする場合、提出された作品をまず多くのピアニストによって事前審査する。その場合、「自分が喜んで弾いてみたいと思う作品」という観点から選んでもらう。次いで、そこで選ばれたいくつかの作品を本選の演奏会で取り上げ、その場に居合わせた聴衆のみならず、その演奏をインターネットで同時配信し、やはり「自分がもう一度喜んで聴いてみたいと思う作品」という観点から投票してもらう。このようにすれば、業界人以外には「ほとんど誰も喜ばない」ような作品が選ばれることはなくなるだろうし、選ばれた作品がレパートリーとして定着する可能性も出てこよう。もちろん、実際にこうしたコンクールを行うにはいろいろと解決しなければならない問題はあろうが、それでもやってみる価値はあると思う。

 

2026年9月15日火曜日

松村禎三《管弦楽のための前奏曲》の新旧の録音

  松村禎三の名曲《管弦楽のための前奏曲》(1968)を同じ指揮者、岩城宏之による新旧の録音で聴き比べてみた。新(https://www.youtube.com/watch?v=3fLwMcsIx0o&list=RD3fLwMcsIx0o&start_radio=1)は1992年、旧(https://www.youtube.com/watch?v=aEcBkk2p1_s&list=OLAK5uy_mgBXXAa3X0FDDyxip4PBlcGPW4vJXXWuk&index=1)は1970年の演奏・録音である。後者は作曲年に近い時期のものであり、前者はほぼ四半世紀後の演奏だが、随分感じが異なる。私は旧の演奏の方を好む。それに対して新の方からはどこか焦点がぼやけてた、冗長な感じを受ける(この曲の場合に限らず、ある時期以降の岩城指揮の演奏は総じてそのようなものに聞こえる。他方、若い頃の録音は現代作品の魅力をしっかり味わわせてくれる)。もっとも、これはあくまでも私の感じ方。新の方を「円熟」と聴く人もいるのかもしれない。

 

 さとうさおり氏は結局辞職することとなった。残念だが、自分の身を守るためにはそうせざるを得なかったのだろう。今までご苦労さまでした。そして、別の場面での今後の活躍に期待しています。

 それにしても、こんなことになるなんて、全く世も末である。この一連の件について若者の感想を聞いてみたいものだ。