今日はアンドリュー・ワイエス(1917-2009)の展覧会を観てきた(https://wyeth2026.jp/)。すばらしかった。ワイエスは米国の画家で、前世紀半ばに前衛美術が斯界を席巻していたときに、我が道を行き――具象的な表現――を続けた人である。実はこのワイエスのことはほとんど知らなかったのだが、今回、幸いにもその作品に触れる機会を得た(なお、以下に述べるのはあくまでも私個人の実感にすぎず、それに異論を持つ人も当然いることだろう)。
まず胸を打たれたのは「ぶれのなさ」である。周りがどうであろうと、ワイエスは自分でこうと決めた道を行き、とことんそれを追究している。20世紀、とりわけその後半には次々と新技法が現れては消えて行ったわけだが、その中で少なからぬ画家はいとも身軽に路線変更を行い、「新しさ」を求めていった。が、ワイエスはそうではなく、「よりよい」表現を求め続けたようだ。とはいえ、それは決して己の作風に固執してその枠内で技術の深化を図ったものではない。自分の持ち味をどう活かすかを真剣に考え、虚心坦懐に描き続けたに違いない。
ワイエスの数々の作品を目にし、そのいずれにも共通して受けた印象がある。それは「静けさ」だ。そこには「新しさ」や「独創性」を誇示しようとの「欲」は一切感じられない。彼が描き出そうとしているのはその内なる世界であり、それがしかるべき「強さ」と「厳しさ」をもってなされている。画面からは精神の余計な音が一切排除されており、そのために表現はまことに直截的なものになっているように私には感じられ、深い感動を味わった。
そうしたワイエスの絵と好対照をなすのが、同じ美術館でなされていた昨今の「モダン・アート」別の展示だ。ワイエスの作品は何の解説がなくとも観る者に強く何かを訴えかけてくるのに対して、今日観たモダン・アート作品はそうではない。作者自身の手で何やらもっともらしい解説が付けられているのでそれに沿って作品を観てみるのだが、一向にピンとこない。まして、解説がなければさっぱりわからない。こう言うと、「ワイエスの表現が具象的だからわかりやすいのであって、それとは異なる表現のものを同じ土俵で論じるのはいかがなものか」と反論されるかもしれない。が、問題はそんなところにあるのではない。具象的な表現による作品でもつまらないものは掃いて捨てるほどあるし、逆にモダン・アート作品でも有無を言わさずに迫ってくるものもあるのだから。表現方法の違いを超えて作品が観る者に訴えかける力――その大小の違いを私は問題にしているのであり、その点で昨今の少なからぬモダン・アート作品はワイエス作品には遙かに及ばないように私には思われてならない。
そして、同じようなことを私は音楽の分野でも強く感じている。すなわち、昨今の「現代音楽」作品は私の心の琴線をほとんど震わせてくれない、と。そして、そのことを私はとても残念に思っている。今の時代にふさわしい音楽表現に触れ、心の底から感動したいのに……。それにはもちろん、聴き手たる私の側にも何か問題があるのであろう。が、決してそれだけではあるまい。
おっと、ワイエス展の感想からかなり話がずれてしまった。が、今述べたような問題を改めて私に突きつけてくれるほどに彼の絵画は刺激的であった。