2026年11月5日木曜日

教養が創作の邪魔をする?

  團伊玖磨(1924-2001)が矢代秋雄(1929-76)のことを書いた随筆がある。それは「パイプのけむり」シリーズの第11冊、『重ねてパイプのけむり』(1980)に収められた「雲の行列」と題された一篇だ(以下、引用はすべてそこからのものである)。そこでは矢代との出会いから別れまでが綴られており、なかなか味わい深いものである(ので、興味をお持ちの方はご一読を)。

 團が矢代に初めて会ったのは中学生時代のこと。昭和14年だというから、團は15歳、矢代は10歳になる年だったことになる。「暁星の小学生だった」矢代は「幼い指を鍵盤の上に走らせながら、次から次へと自作の小品を弾くのだった」。そして團も「お返しに[……]作曲した許りだった幾つかの歌を弾き語りで歌った」。驚きなのは、それに対する秋雄少年の反応である。曰く「アンリ・デュパルクの影響がありますね」。まあ、これは10歳の少年が言う台詞ではない。しかも、團は当時、まさに「デュパルクの『フィデレー』や『旅への誘い』に影響された歌を次々に書いていた時期だったのである」と言う。

 矢代から学んだ者が口々に述べるのは、彼がどんな曲でも知っていて、即座にピアノで弾くことができた、ということだった。おそらく、その「知って」いるは表面的な知識ではなく、作品の中身についての的確な理解を伴うものだったことだろう。

 では、そうした広範な作品への知識と理解は矢代の創作にどんな影響を及ぼしたであろうか? もちろん、プラス面での影響も少なからずあっただろうが、たぶん、マイナス面での影響の方が大きかったのではないだろうか。すなわち、幅広く深い教養が創作の邪魔をしたのではないか、ということである(そうした例は彼に限ったことではない。「博覧強記」を謳われる者は創作者としてはたいてい二流、三流である。その点で矢代は数少ない例外だったと言えよう)。何かをやろうとしても、「ああ、これはすでに誰それがしていることだ」ということが矢代にはすぐにわかったであろうし、そうなると独創性を重んじる「芸術」の世界では同じことはもうできない。矢代は寡作家だったが、それには持ち前の完璧主義だけではなく、西洋芸術の音楽作品についての教養があまりに広く深かったことも大いに与っていたのではなかろうか(もちろん、「知らなければ」結果として既存の作品と似たものをつくってしまう危険はあったろうが、そんなことを気にせず思うがままに筆を進められることの方が創作家にとっては遙かに大切であろう)。

2026年11月3日火曜日

メモ(167)

  日本語の歌曲で歌詞がよく聞き取れないものならば、それをきちんとリアルタイムでわかりたいと思っている聴き手にとってはその歌曲はあまりよいものだとはいえまい。が。その同じ歌曲を歌う者がそこに何らかの心地よさを感じられるものならば、それはよい曲だということになろう。また、聴き手であっても、歌詞などは余り気にせずに旋律や響きを味わいたい者であれば、いくら歌詞が鮮明に聞き取れはしても美しくない旋律の歌など願い下げだろう。というわけで、日本語歌曲の良し悪しを判別する際に「歌詞が鮮明に聞こえる」ということを必要条件としてよいものかどうか……。なかなか難しい問題である。私個人としては歌詞はきちんと聞こえるものであった欲しいが、そうでない歌曲をすべて切って捨てるのは乱暴だとこのところ思い始めてもいる。

2026年11月2日月曜日

「読みどき」の到来

  先頃、作家の村上龍が亡くなった。私にとって、彼はほとんど未知の存在であった。というのも、一篇を除き、彼の小説を読んだことがなかったからだ。その「一篇」とは出世作『限りなく透明に近いブルー』なのだが、それに初めて触れたとき、あまりよい印象を抱かなかったがために、これまで他の作品をずっと読まずに通してきたのである。

 それにもかかわらず、村上の存在はどこか気になっており、「いつかは読まねば!」と思ってもいた。そして、最近、妻がオーディブルで村上作品の朗読を聴いて「面白い」と言い出し、そこに村上の訃報が重なったものだから、いよいよ「読みどき」が到来したことを感じた。

ご近所図書館から2冊ばかり借りてきて読み始めたところだが、なるほど、確かに面白い。今まで遠ざけてきたことを後悔するほどにである。が、「ものに皆時宜あり」なので、せいぜいこれから楽しませてもらおう。この歳になってもこうした出会いがあるのはありがたいことである。

 

来年はピエール・アンリ(1027-2017)の生誕100年ということでそれに先だって包括的なCDボックスが発売されるとのこと(https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%80%81%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%EF%BC%881927-2017%EF%BC%89_000000000062355/item_%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%AA%EF%BC%8F100%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BC%8831CD%EF%BC%89_17367127)。彼は電子音楽の大家であり、その創作に一生を捧げた人である。その創作の軌跡には少なからず興味があるが、電子音楽は聴いていて(たとえ面白いと感じるものでも)耳が酷く疲れるようになったので(昔はそんなことはなかったのに……。今日も手持ちのアンリ作品のCDを少しばかり聴いてみて、楽しかったが同時にとても耳が疲れた)、この31枚組のCDに手を出したものかどうか、思案中だ。

 

今日は愛犬シャーロット10歳の誕生日。その存在にはただただ感謝あるのみ。


 

2026年10月31日土曜日

《涅槃交響曲》はそれほどの名曲だろうか?

   岩城宏之指揮、NHK交響楽団の演奏・録音(1972)で黛敏郎(1929-97)の《涅槃交響曲》(1958)をスコアを眺めつつ聴いてみた。この作品は画期的な名曲だとされるが、今回、久しぶりにじっくり聴いてみて、「そこまでの名曲かしら」と思った。もちろん、随所にいろいろ面白いところのある作品だし、日本の西洋音楽史には特記されるべきものではあろう。が、これが後世まで演奏され続けるだけの名曲であるようには私には感じられなかった。というのも、それはいろいろな面で実験に留まるものであり(まあ、このことは「現代音楽」の世界でこれまで「名曲」だとされてきた多くの作品についても言えよう)、未整理なところ(この曲の場合には、いろいろな様式のごたまぜ感)が少なからずあるように思われたからだ。その点でこの《涅槃交響曲》よりも少し後の作品、すなわち、《曼荼羅交響曲》(1960)や《舞楽》(1962)の方がもっとよくできているし、いっそう楽しく聴ける。「名曲」として残ってしかるべきなのはこちらの方ではなかろうか。

 ところで、その《涅槃》については、作品自体よりも、それが他者に及ぼした影響を追いかける方が面白いかもしれない。この作品は当時はもちろん、のちの作曲家たちにも少なからぬ影響を与えたはずだからだ(たとえば、松村禎三の60年代の管弦楽曲は、もし《涅槃》がなければ、かなり違ったかたちになっていたのではないかと想像される)。そして、その意味ではやはり《涅槃》の登場は1つの「事件」だったと言えようか。

2026年10月29日木曜日

それなりによい演奏ではあっても

  最近のことだが、たまたまつけたラジオで有名作曲家の有名作品が演奏されているのを聴いた。きちんとした、それなりによい演奏であり、その演奏家が誠実に音楽に向かい合っていることがよくわかるものだった。それゆえ、すがすがしさを覚えつつ、最後まで聴いてしまった。

だが、実際にその人の演奏会に自分が出かけることはまずないだろう。なぜか? 耳にタコができるほど聴き、聞かされてきた有名作品ゆえに、放送などならともかく、わざわざ出かける演奏会では尋常ではないものを求めたくなるからだ。そして、残念ながら、その放送での演奏からはそうしたものを感じられなかったのである。

繰り返すが、その演奏は実にきちんとした演奏であり、十分に音楽的であった。が、自分の耳は有名作品に対してはもはやそれでは満足できなくなってしまったのである。となると、有名作品ばかりが取り上げられ、さほど興味の持てない演奏家が出演する演奏会には足が向かなくなるのも仕方があるまい。

もちろん、数多いる演奏家のほとんどを私は知らないわけだから、「興味の持てる」演奏家に出会うためには演奏会に足繁く通う必要があるのかもしれない。が、自分にはいろいろな面でその余裕がないので、「偶々の出会い」を待つしかなかった。そして、振り返ってみれば、その「偶々」の中にむしろよい出会いがあったような気がする。できればこれからもそうであってくれますように。

 

 今や大学でも「カスハラ」が取りざたされるようになった。先日耳にした話だが、どこかの大学で学生に対して「カスハラに注意」する旨のメールが大学から一斉送信されたという。もちろん、ここでの「カス(タマー)」は「学生」のことである。これまでは教員に対して「アカハラに注意」ということがさんざん言われてきたわけだが、遂に学生が大学に対して行うハラスメントが問題にされるに到ったわけだ。何ともはや……。

2026年10月27日火曜日

メモ(166)

  日本語の詩に付曲する場合、旋律線のありようは言葉の高低アクセントに強く縛られることになる。すると、いくら詩としてはよいものであっても、歌にするとその魅力が失われてしまうということは大いにありうる。

 ならば、作曲家は先に好きに旋律をつくっておいて、それにあうように自分で詩を書くか、さもなくば詩人に言葉を書いてもらうかすればよかろう。ポピュラー音楽では「曲先」というのがあることだし……。

 さて、そのようにして後から書かれた歌詞を音楽抜きで詩として見た場合、最初から詩として書かれたものと比べて質の面で違いが生じるだろうか? 事情を知らない第三者に両方の詩を比較検討してもらうと、どのような結果になるだろうか?

2026年10月24日土曜日

パオロ・カスタルディの奇作《エリーザ》

  パオロ・カスタルディ(1930-2021)の奇作《エリーザ》(1964-67。以前、このブログで一度話題にしているが、拙著『黄昏の調べ』第3章第4節でも取り上げている作品)の楽譜つき動画を見つけた(https://www.youtube.com/watch?v=8zSJ7JH3LOA&list=RD8zSJ7JH3LOA&start_radio=1)。昔々、これを金澤攝さんの演奏で聴かせてもらったときにはびっくり仰天したが、今聴いてもやはり驚かされる。ブラックな喜劇のような作品であるが、同時にそこには現実への批判が込められているようにも聞こえる。ある時期のカスタルディ作品は趣向こそその都度違うものの、根本の姿勢は同じであり、そうしたカスタルディ作品は今現在でも輝きを失ってはいない。いや、「今現在でも」どころか、「今がこんな世の中であるからこそ」と言い直すべきだろうか(ヴァグネリアンが大激怒すること必定の《黄金 L'oro》(1968)を実演で聴いてみたいものだが、まず無理だろうなあ)