昨晩は大阪のいずみホールでハーゲン四重奏団の「さよならコンサート」(https://www.izumihall.jp/schedule/20260703)を聴いてきた。至福のひとときだった。
私がこの団体の演奏を初めて聴いたのはラジオでのこと。80年代前半のことである。そのときには彼らは「期待の新人」だったわけだが、やがて世界のトップクラスの四重奏団へと成長した。私は幸いにもいずみホールで何度か実演に触れることができ、その都度深い感動を味わってきた。が、ものには必ず終わりのときがくる。今回のツアーを最後にハーゲン四重奏団は解散することになっており、昨晩は大阪での最後の演奏会だったわけだ。
演目は次の通り:
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 K.387
シューマン:弦楽四重奏曲 第3番 イ長調 作品41-3
シューベルト:弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 「ロザムンデ」 D804
最初の演目は事前に予告されていたものとは異なるのだが、私はむしろうれしかった。大好きな曲だからだ。
いずれの作品でもこの四重奏団は様式の違いをはっきり示していた。すなわち、モーツァルト、シューマン、シューベルトの作品が、それぞれにいかにもその作曲家の音楽らしく鳴り響いたのである。こう言うと、「そんなことは演奏の基本ではないか!」と反論されるかもしれない。が、世の中の少なからぬ演奏はその「基本」が怪しいのだから、やはりこれは彼らの美点としてあげねばならない。
だが、それはクラシック音楽作品の演奏の「必要条件」にすぎない。では、「十分条件」とは何か。それは、演奏家(演奏団体)の個性を示すことである。そして、この点でもハーゲン四重奏団は「独自の音(楽)」を味わわせてくれるのだ。
そのような演奏だから、こちらもとにかく集中して「音のドラマ」に聴き入った。主題がどう展開・変容されるか、調性がどう推移するか、場面転換に際して何が起こるか、等々、一音たりとも聴き逃さないようにした、いや、自然に耳がそのように働いてしまった(こう言うと、またしても「そんなことはクラシック音楽作品、とりわけ弦楽四重奏曲のようなものを聴く際の基本ではないか!」とつっこまれそうだが、世の少なからぬ演奏はそこまで耳を惹きつけてくれない)。そして、その結果として最後に深い満足がもたらされる。それはいずれの演目についても言えることで、それ以上演奏について具体的にどうこう言う必要を私は感じないし、どうこう言いたくもない。
言うことがあるとすれば、「これまで数々のすばらしい演奏を聴かせてくれてありがとうございました」ということに尽きる(同じことをこれまで大阪彼らの演奏会を企画・運営し続けてきたいずみホールの関係者の方々に対しても申し上げたい)。今後彼らの実演を聴けないのはさびしいことではあるが、最初に述べたように「ものには必ず終わりのときがくる」わけだから仕方がない(が、彼らは数多の録音を行ってきているので、それはこれからも愛聴するだろう)。彼らが播いた種は下の世代の者たちの音楽において芽を出し、生長しているはずなので、これからはそうした者たちの演奏にもっと耳を傾けたいと思う。