今日、IMSLPでケクランのページを見てみると、『和声概論』の第3巻、すなわち、課題の解答編が上げられていた(https://imslp.org/wiki/Trait%C3%A9_de_l'harmonie_(Koechlin%2C_Charles))。
これは第1、2巻にすでに目を通している人にとっては待望のものであろう。また、この巻だけでも独立して読む(弾いてみる)価値はあろう。
ついでにあれこれ他を見ていたら、アンドレ・ジェダルジュの『フーガ概論』の邦訳があって驚いた(https://imslp.org/wiki/Trait%C3%A9_de_la_fugue_(G%C3%A9dalge%2C_Andr%C3%A9))。
名著の誉れ高いこの「分厚い」本を日本語で読めるのはありがたいことである。この翻訳を仕上げた篤志家の偉業を心から讃えたい。
そういえば、ケクランもフーガ教本を書いており、それも「学習フーガ」に関するものだ。これはまだIMSLPにはあげられていないが、いずれ誰かがあげることだろう。私は同書を勤務先の図書館で借りて眺めてみたことがあるが、これもなかなか充実した教本である。
ふと思い立って、Dorico でJ. S. バッハの〈6声のリチェルカーレ〉を「写経」し始めた。声部毎に色を変えてみれば随分読みやすくなるだろうと思ってのことだ。以下にあげるのは声部が6つ出そろったところを含むページである(なお、原譜では2小節一組に記譜されているが、Doricoではどうすればよいかがわからなかったので、この写経ではそうはしていない。また、黄色はタイで繋がれた音で、これはすべての声部に共通。また、大譜表の上段は右手担当、下段は左手担当にしてある):
「日本人は現状から未来を予測し、それに対応した『計画』を立てるということが、極めて困難な民族である[……]。目先の発明・工夫は得意だが、根本的な発想の転換をすることは大の苦手である」(井沢元彦『逆説の日本史4・中世鳴動編』、小学館文庫、1999年、416頁)という指摘はおそらく正しい(個人としてはそうした「困難」や「苦手」を乗り越えられる人は少なからずいる(いた)はずだが、社会や組織がそうした個人を無力化してしまうのだろう)。私が直接知るこの国の近過去についてはまさにその通りだと言える。ならば、この先も……。のみならず、今のように国が教育に出し惜しみをしている(出すにしても、余り効果的ではないやり方をしている)ようでは「目先の発明・工夫」さえも怪しくなってくるのではないか。

_1.jpg)
