ご近所図書館でたまたま目に留まったイラン・パペ『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』(早尾貴紀・監訳、河出新書、2025年)を読み、蒙を啓かれる思いがした。同書の著者はユダヤ系イスラエル人なのだが、書名にある問題について冷静かつ客観的な立場から論じ、この問題でイスラエル(シオニスト)が行ってきた(のみならず、現に行い続けている)不正(さらには、彼らを直接・間接に手助けしてきた諸外国の罪)を実証的に描き出している。イスラエルの問題性は自分なりに理解していたつもりだが、恥ずかしながら同書を読むまで、ここまで酷いとは知らなかった。
同書の「監訳者解説」によれば、著者は2006年に『パレスチナの民族浄化』(邦訳あり)という書を著しており、それもまさにイスラエルの悪を剔抉する内容のものなのだが、そのために母国イスラエルに居づらくなって国外に移住せざるを得なくなった(行く先は英国。つまり、自国の権益のためにイスラエル建国に道を開いた国)とのことである。そして、それ以降もパレスチナ問題をさまざまな角度から論じており、その精髄が『イスラエル・パレスチナ紛争をゼロから理解する』だという。なぜ、著者はそこまでこの問題を追及するのか? それはやはり、母国の行ってきた(そして、現に行い続けている)不正を改めさせたいとの思いがあるからであり、その根底にあるのは真の意味での同胞愛であろう。だからこそ、同書をこう締めくくるのだ:
みずからの過去をありのまま受け入れ、地理的に隣り合わせの国々との近似性を受け入れてはじめて、イスラエルは歴史的パレスチナと中東全体のためのよりよい未来を築く一翼を担えるようになる。生きているうちにその日を迎えたい。それがわたしたちの願いだ(同書、186頁)。
その実現には 当事者のみならず、「パレスチナでのイスラエルの暴力が容認される国際社会」(同書、「監訳者解説」、199頁)もまた変わっていく必要がある(同書の監訳者はそうした「国際社会」のありように「日本の政権も世論も荷担してしまっている」(同書、199頁)と述べている。なるほど、大勢としてはそうかもしれない。が、たとえば昨年の国連総会の演説でイスラエルへの自制を説いた石破茂元首相のような立派な政治家もいる――ということは、その支持者も少なからずいる――し、同書のようなものも出版されているわけだから、日本にも変われる可能性はあるはずだ)。国外で活動する著者の一連の仕事はむしろこちらの方に重きが置かれているのかもしれない。
ともあれ、私も著者同様、いつの日かイスラエルが自らの手で過去をある程度清算し、隣人たちと平和的共存ができる日がやってくることを願わずにはいられない。それが遠い未来のことかもしれないにしても……。