2026年10月10日土曜日

モーリス・オアナへの興味

  以前から些か気になっている作曲家の1人にモーリス・オアナ(Maurice Ohana, 1914-92)がいる。「フランスの作曲家」ということになってはいるが、生まれは当時フランス領のモロッコで、両親はアンダルシアのユダヤ人。父が英国の市民権を持っていたのでオアナ自身もそれを受け継ぎ、第二次大戦時には英国の軍務につく。戦後にはパリに移住し、そこを拠点に活動したものの、正式に市民権を得たのは1976年のことだった。

このような経歴のゆえだろうか、オアナの音楽は、フランスに生まれ育ってパリ音楽院その他の音楽学校で学んだいかにも「フランスの作曲家」らしい人たち(たとえば、同世代でいえばアンリ・デュティユなど)の音楽とは何かが大きく異なっている。

さて、オアナはピアノ演奏にも秀でており、作曲家として立つ以前にピアニストとして活動していた。そして、その才能を認めたアンドレ・ジッドは『ショパンについての覚え書き』を書く際にオアナに協力を求めたという。そんなオアナの作品の1つにピアノのための《24の前奏曲》(1973)がある(https://www.youtube.com/watch?v=SOAOcJMVFQk&list=OLAK5uy_mQoXfVTYaPL7l3Zyg5FcwJtutlsA-c3hc&index=5)が、当然作曲者はショパンの同名の作品を意識したに違いない(もちろん、両者の作風は全く異なるが)。このオアナの前奏曲集を近場の演奏会で取り上げてくれる人がいないかなあ。

 

2026年10月8日木曜日

危機は好機?

  現在のAIならば、「○○風の曲」をかなりの精度で書くことができよう(「○○」は作曲家名)。商業音楽ならば用途によっては実用に耐えるものができるようになってきている。

 すると、芸術音楽においても、早晩、同じようになるかもしれない(もしかしたら、すでにそれだけの作品を産み出してるのかもしれない)。となると、「人間」の作曲家には生き残りの術はあるのか?

 可能性として1つ考えられるのが、20世紀に生じた「作曲と演奏の分業化」を廃して、19世紀までのように「作曲家本人が自分の作品を演奏する」というかたちに戻すという手である。本人が自分の作品を奏でることまではAIが取って代わることはできないからだ。

 そして、もし、そのように「作曲家の自作自演」というかたちが普通になれば、いろいろな意味で作曲家は自身以外の演奏家や聴き手との関係を再考しないわけにはいかなくなるに違いない(たとえば、「演奏不可能」に近い楽譜を書いて涼しい顔をしていることなど、もはやできなくなる)。

 なるほど、AIは作曲家にとって驚異かもしれない。が、そこには逆にイノヴェイションの好機が潜んでいるかもしれないのだ。

2026年10月6日火曜日

ベートーヴェンの《バガテル集》を楽しく聴いている

  このところベートーヴェンのピアノの《バガテル集》(作品33、119、126)を好んで聴いている(手持ちのCDとは異なる演奏だが、名演:https://www.youtube.com/watch?v=GVl9txM-baE&list=RDGVl9txM-baE&start_radio=1)。それはまさにベートーヴェン一流の「奇想の玉手箱」だ。そうした「奇想」はソナタのような曲にも含まれてはいるのだが、《バガテル集》ではそれが直截かつ生々しく示されており、そこが面白い。こうした音楽をピアノ学習者が早い時期に知れば、同じ作曲家のソナタに対する見方もかなり変わるだろうに。 

2026年10月3日土曜日

マイルズの繊細な抒情性

  マイルズ・デイヴィス(1926-91)のアルバム『マイルズ・アヘッド』(1957)を随分久しぶりに聴いてみた(https://www.youtube.com/watch?v=6eDH5x0k9XU&list=RD6eDH5x0k9XU&start_radio=1)。ギル・エヴァンズの名アレンジは何ともcoolで、そこにマイルズの繊細で抒情的なプレイが絡むさまは何とも美しい。私がマイルズの音楽を好む理由の1つはこの「繊細な抒情性」だが、それは後年の彼の音楽でも失われることがなかったように聞こえる。

 

 ふと気になって吉田秀和がセザール・フランクを論じた比較的若い頃の文章を読み直してみた。が、一読後、私にとって彼は完全に「日本の洋楽受容史上の登場人物」になってしまったことを(以前から薄々感じてはいたのだが、今回は今更ながらに)痛感させられる。今後、私が吉田の書物を繙くことがあるとすれば、歴史の一齣を見るための史料としてでしかありえまい。

2026年10月1日木曜日

メモ(164)

  普通の生活の中で伝統邦楽に自然に触れられる機会の多かった世代の作曲家と、そうではなかった世代の作曲家の「日本(語)歌曲(オペラ)」を比べてみたら面白いと思う。伝統邦楽は日本語に節付けする際の重要な参照点であるとともに大きな縛りでもあったろうが、それを強く意識せざるをえなかった世代と、そうではない世代の「歌曲(オペラ)」には何かしら違いが見つかるのではなかろうか。 

2026年9月29日火曜日

メモ(163)

  ピアノの発表会で取り上げられる「定番名曲」というものがある。が、その中に20世紀、とりわけその後半以降に生まれた作品はどの程度入っているのだろうか。日本人作曲者の手になる「子供(初級)向け」の作品が選ばれることはあるにしても、同じ作曲家の本格的な作品が取り上げられることはあまりないのではないか。ともあれ、一度調べてみれば面白かろう。

2026年9月28日月曜日

なかにし礼の味わい深い言葉

  作詞家・小説家のなかにし礼(1938-2020)はベートーヴェンの第9終楽章「歓喜の歌」の訳詞を手がけているが、その序文で次のように述べている(ということを、今読んでいる渡辺裕先生の本で遅ればせながら知った)。とても味わい深いものなので、長くなるが孫引きしよう:

 

日本語で歌うと音楽の純度がさがるという。ということは言語で歌えば純度がさがらないということらしいが、なあにさがらないと思っているのは本人だけで、日本人がドイツ語を発音した瞬間にドイツ語はこわれているのである。どうせこわれるなら、無茶苦茶にこわして、自分の血とし肉とし、そのあとで何かを作り出せばよさそうなものなのにそれをしない。いつからか日本人はそんな風になった。むかしはそうではなかった。浅草オペラ時代のあの出鱈目さ加減と、あのエネルギーを思いおこせばわかることなのだが、あれは大衆芸能の話で、純音楽には関係ないと済まし顔でいう。しかし誰が何と言おうと、あの浅草オペラ時代が、日本が最高に西洋音楽を吸収した時期であったことに間違いはない。そのエネルギーの源はなんであったのかと言うと、当然のことながら言葉なのだ。日本語という言葉なのだ。

音楽の純度という目くらましに目がくらんで、言葉をないがしろにしはじめて、日本のクラシック音楽は活力を失った。オペラ、オペレッタ、歌曲。会場は限られたファンや専門家の溜り場であって、一般大衆は入りたいとも思わない場所になった(なかにし礼・詩『歓喜の歌日本語版―ベートーヴェン作曲「交響曲」第九番合唱終曲』、ハンナ、2018年)。

 

「ファンや専門家/一般大衆」という線引きの仕方には些か異論がないではないが、ここで述べられていることは概ねはその通りだと私も思う(し、私自身、近年は演奏会場の雰囲気に気圧されて次第に足が遠のいている)。

 私は以前、このブログでシューベルトの《冬の旅》の歌詞を松本隆が訳したものを話題にした(https://kenmusica.blogspot.com/2020/03/blog-post_10.html)が、オペラなどについても昔のようにどんどん訳詞でやればよいと思っている(私自身、学部学生時代に歌の教授が主催する会による日本語上演に合唱隊の一員として参加したことがあるが、とても楽しかった:https://kenmusica.blogspot.com/2021/08/blog-post_8.html)。もちろん、そのことにより原曲の何かが失われるのは確かだが、なかにしが言うように原語でやったところで「こわれている」のだから、「無茶苦茶にこわして、自分の血とし肉とし、そのあとで何かを作り出せばよ」いわけだ。原語上演が悪いというわけではないし、それはそれでけっこうなことだとは想う。が、「それしかない!」という原理主義は「日本のクラシック音楽」の「活力」をなおいっそう削ぐことになるに違いない。