2026年9月17日木曜日

ちょっとしたアイディア

  西洋芸術音楽の作曲のコンクールで審査員を務めるのは普通、(概ね「現代音楽」の)作曲家である。もちろん、それが悪いというわけではない。が、審査を演奏家と聴き手に任せるようなものがあってもよいのではなかろうか。

たとえば、独奏ピアノ曲を課題とする場合、提出された作品をまず多くのピアニストによって事前審査する。その場合、「自分が喜んで弾いてみたいと思う作品」という観点から選んでもらう。次いで、そこで選ばれたいくつかの作品を本選の演奏会で取り上げ、その場に居合わせた聴衆のみならず、その演奏をインターネットで同時配信し、やはり「自分がもう一度喜んで聴いてみたいと思う作品」という観点から投票してもらう。このようにすれば、業界人以外には「ほとんど誰も喜ばない」ような作品が選ばれることはなくなるだろうし、選ばれた作品がレパートリーとして定着する可能性も出てこよう。もちろん、実際にこうしたコンクールを行うにはいろいろと解決しなければならない問題はあろうが、それでもやってみる価値はあると思う。

 

2026年9月15日火曜日

松村禎三《管弦楽のための前奏曲》の新旧の録音

  松村禎三の名曲《管弦楽のための前奏曲》(1968)を同じ指揮者、岩城宏之による新旧の録音で聴き比べてみた。新(https://www.youtube.com/watch?v=3fLwMcsIx0o&list=RD3fLwMcsIx0o&start_radio=1)は1992年、旧(https://www.youtube.com/watch?v=aEcBkk2p1_s&list=OLAK5uy_mgBXXAa3X0FDDyxip4PBlcGPW4vJXXWuk&index=1)は1970年の演奏・録音である。後者は作曲年に近い時期のものであり、前者はほぼ四半世紀後の演奏だが、随分感じが異なる。私は旧の演奏の方を好む。それに対して新の方からはどこか焦点がぼやけてた、冗長な感じを受ける(この曲の場合に限らず、ある時期以降の岩城指揮の演奏は総じてそのようなものに聞こえる。他方、若い頃の録音は現代作品の魅力をしっかり味わわせてくれる)。もっとも、これはあくまでも私の感じ方。新の方を「円熟」と聴く人もいるのかもしれない。

 

 さとうさおり氏は結局辞職することとなった。残念だが、自分の身を守るためにはそうせざるを得なかったのだろう。今までご苦労さまでした。そして、別の場面での今後の活躍に期待しています。

 それにしても、こんなことになるなんて、全く世も末である。この一連の件について若者の感想を聞いてみたいものだ。

2026年9月13日日曜日

ローレン・ラッシュも亡くなっていた

  前回に続いて「あの人は今(生きているのかな)?」と気になり、米国の作曲家、ローレン・ラッシュについて調べてみたところ、こちらも今年の2月に亡くなっていた。1935年の8月生まれなので、90歳だったということになる。

 このラッシュの名は日本ではほとんど知られていないが、なかなか魅力的な作品を書く人だった(もっとも私が知っているのも半世紀以上前の作品である)。追悼の意味で《dans le Sable》を久しぶりに聴く((https://www.youtube.com/watch?v=DQhQ0xqBGhw&list=RDDQhQ0xqBGhw&start_radio=1)。やはり名曲である。

2026年9月11日金曜日

ヴァーシャーリ・タマーシュが亡くなっていた

  時々、「あの人は今(生きているのかな)」?」と気になる。そこで今日はピアニストのヴァーシャーリ・タマーシュ(ハンガリー人なので名は「姓・名」の順)のことを調べてみると、果たして今年の2月に亡くなっていた。19338月生まれなので、92歳だったことになる。また一人、往年の名ピアニスト(たとえば次の演奏などどうだろうか:https://www.youtube.com/watch?v=RRl_O5LZhig&list=RDRRl_O5LZhig&start_radio=1)が世を去った。寂しいことだが、その分、現役のピアニストの活躍に期待しよう。

2026年9月9日水曜日

メモ(162)

  丸山眞男(1914-96)が熱烈な音楽愛好家だったのはよく知られたことであるが、その程度が半端ではなかったことは、中野雄『丸山眞男 音楽の対話』(文春新書、1999年)を読むとよくわかる。

 その丸山の音楽観や音楽論それ自体には今日さほど意味があるわけではないが、次の2つの点で分析、考察に値するものであろう。すなわち、①「丸山眞男」という人の考え方や感じ方を知り、理解する上での資料として ②日本の西洋音楽受容のある時期における1つの典型例として――この2点である。私は後者に興味がないではないが、それを追究する気力も時間もない。面白い研究になるはずだから、誰かやってくれないかなあ。

2026年9月7日月曜日

杉山哲雄先生のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会シリーズ

  杉山哲雄先生からリサイタルのご案内をいただいた。ベートーヴェンが来年没後200年を迎えるにあたり、ピアノ・ソナタ全曲の演奏会シリーズを先生は行っているのだが(https://www.shin-en.jp/schedule20251002/)、今回お知らせいただいたのは「シリーズ傑作の森(全2回)」(曲目については上のリンク先を参照のこと)。大好きな「田園」ソナタも含まれているので聴いてみたいところなのだが、いかんせん東京は遠い(涙)。だが、来年の最終回、最後の3つのソナタは何としても聴きに行くつもりだ。

先生には横浜国立大学大学院在学中にピアノを教わった(今から35年前!)。私のピアノの腕は先生から本当の意味で教わるには全く不十分だったが、それでもやはり何かを教えていただいた(のみならず、70代後半になっても音楽家として自己のアップディトを怠らない先生のありようは、今なお私に何かを教え続けてくれている)と思っており、恩師の1人だと断言できる。その先生が現在どのようなベートーヴェンを奏でるのかに深い興味を関心を持たずにはいられない。

2026年9月5日土曜日

往年の「現代音楽」作品に魅せられる

  急に昔の日本の「現代音楽」が聴きたくなり、手持ちのCDを取り出してきた。松村禎三(1929-2007)、間宮邦生(1929-2024)、篠原眞(1931-2024)などの作品を久しぶりに触れてみたのだが、どれも皆、すばらしい。何気なく聴き始めたところ、すぐに音楽に引き込まれてしまい、耳が離せなくなった。昨今の「現代音楽」作品では残念ながらこうしたことはない。

 さて、その理由として考えられるのは、

 

①昨今の「現代音楽」作品の質が下がった。

②聴き手たる私の判断力が昨今の音楽に追いついていない。

③「現代音楽」というものがもはや時代に合わないものとなった。

④たんに私の趣味の問題。

 

といったことであろうか。

まず、①だが、たぶん、これはなかろう。少なくとも今世紀になってから私が耳にした新作はいずれも「よく書けている」ように思われるからだ。

次の②だが、そうした可能性を完全に否定することはできない(が、「無理に追いつかなくてもよいではないか」とも私は思っている。もちろん、自分の聴き方のイノヴェィションを怠るつもりはないが、それは流行に追いつく/追いつかないとは別の次元でなされるものである)。

続く③だが、私はこの点を強く感じている。先にあげた作曲家たちの作品は1950~70年代につくられたものだったが、それらを私は「過去の音楽」として聴いている。そして、その「過去」と作品のありように親和性を覚える。言い換えれば、「時代の表現」としての説得力を感じたのである。その点、昨今の「現代音楽」作品に対してそうした説得力を感じることはあまりない。それはすなわち、「時代の表現」としてはもっとふさわしいものが他にあるように感じられるということだ。

そして、最後の④だが、これは少なからずあると思う。上の③にしたところで、突き詰めればそれは私個人の感じ方の問題だと言えよう。とはいえ、作品に向き合うのは個人であり、世間(斯界)の評価など関係ない。要はその作品が自分の「胸に響く」かどうかが肝心なのだから。そして、それだけに、昨今の新作でそうしたものに出会いたいと心底思っている。そして、「現代音楽」の作曲家たちには、そうした音楽に否定的な聴き手をも魅了するような作品を書いて欲しいものだし、そうした作品が現れることへの期待を私は常に持ち続けているつもりだ。

 

 東京都議のさとうさおり氏が議員辞職を撤回したとのこと。喜ばしいことである。氏は親しい人に何かがあったり、自身も脅迫されたりしたとのことだが、とんでもないことだ。選挙できちんと選出された議員の活動が暴力的な手段で妨げられることなどあってはならない(それはさとう氏だけのことではなく、彼女に敵対する議員であっても同様)。議員には己の信条に従って存分に活動してもらいたいものであるし、さればこそ、投票する側としても一票を投じる意義があるというものだ。