2026年9月20日日曜日

長谷川潔展を観て

  所用(仕事に非ず)で東京に夫婦で出かけてきた。一泊二日の濃密かつ有意義な時間だったが、その中に版画家・長谷川潔(1891-1980)の展覧会を観ることも含まれていた(https://panasonic.co.jp/ew/museum/exhibition/26/260711/)。すばらしかった。以前から「気になる」人だったが、時系列で多くの作品に触れたのは今回がはじめてである。

この長谷川もまさに「我が道」をひたすら追究し続けた人だということが展示された作品からはわかる。彼が到達した全く独自の境地はもちろんすばらしいものだったが、そこに到る過程も実に興味深い。長谷川の創作歴それ自体が1つのドラマであり、作品であるように感じられ、まことに見応えのある展覧会だった。

 この長谷川の作品にも私は先日のワイエス同様「静けさ」を強く感じた(もちろん、その内実は異なるが)。のみならず、一見「冷たい」画面の中にもどこか飄々としたユーモアのようなものも感じられ、それがまたよかった。ともあれ、本当によい作品に触れることができ、日々を生きる活力を与えられた。ありがたいことである。それがどんなスタイルであれ、どのような内容であれ、また、どの程度であれ、それに触れることによって「元気になれる」ものが私にとってはよい芸術だと言える。そして、人生の残りの時間(がどれだけあるかは正確なところはわからないにしても、この年齢になれば、少なさを感じずにはいられないもの)を思えば、そうした「よい」芸術以外の芸術は自分には不要である。

2026年9月18日金曜日

渡辺裕先生の新著

  渡辺裕先生から新著をお贈りいただいた。ありがたいことである。先生の著書は常に刺激的なのだが、今回は書名からしてそうだった。『パロディにもほどがある!』というのがそれだ(https://www.shunjusha.co.jp/book/b10193846.html)。この書名を見て驚かされるものの、副題を見るとなるほどと得心がいく。それはすなわち、「〈替え歌〉文化の日本近代」というものである。それにしても、次々と面白いネタを掘り出してくる先生の眼力にはただただ感嘆させられる。のみならず、常にそれを見事に捌いてみせてきたのだから、今回もまたそうなのだろう。というわけで、これから読むのが楽しみだ。

 

 うれしいことにISMLPにダリウス・ミヨーの弦楽四重奏曲の楽譜がすべてアップされた。とりわけ、第12番はずっと見てみたかったのでありがたい。

 また、このサイトには音楽理論関連の著作・楽譜もいろいろアップされていっているが、先日、パリ音楽院の和声コンクール第1等賞受賞(つまり、卒業試験合格)者の答案集があげられていたのには驚く。これはある時期、年ごとに出版されていたもので、今回あげられていたのは1925年のものである(https://imslp.org/wiki/Le%C3%A7ons_d'harmonie_des_%C3%A9l%C3%A8ves_ayant_remport%C3%A9_le_Premier_Prix_aux_Concours_des_Classes_d'Harmonie%2C_Ann%C3%A9e_1925_(Various))。この調子でいずれ他の年のものもアップされるのだろうか? 

2026年9月17日木曜日

ちょっとしたアイディア

  西洋芸術音楽の作曲のコンクールで審査員を務めるのは普通、(概ね「現代音楽」の)作曲家である。もちろん、それが悪いというわけではない。が、審査を演奏家と聴き手に任せるようなものがあってもよいのではなかろうか。

たとえば、独奏ピアノ曲を課題とする場合、提出された作品をまず多くのピアニストによって事前審査する。その場合、「自分が喜んで弾いてみたいと思う作品」という観点から選んでもらう。次いで、そこで選ばれたいくつかの作品を本選の演奏会で取り上げ、その場に居合わせた聴衆のみならず、その演奏をインターネットで同時配信し、やはり「自分がもう一度喜んで聴いてみたいと思う作品」という観点から投票してもらう。このようにすれば、業界人以外には「ほとんど誰も喜ばない」ような作品が選ばれることはなくなるだろうし、選ばれた作品がレパートリーとして定着する可能性も出てこよう。もちろん、実際にこうしたコンクールを行うにはいろいろと解決しなければならない問題はあろうが、それでもやってみる価値はあると思う。

 

2026年9月15日火曜日

松村禎三《管弦楽のための前奏曲》の新旧の録音

  松村禎三の名曲《管弦楽のための前奏曲》(1968)を同じ指揮者、岩城宏之による新旧の録音で聴き比べてみた。新(https://www.youtube.com/watch?v=3fLwMcsIx0o&list=RD3fLwMcsIx0o&start_radio=1)は1992年、旧(https://www.youtube.com/watch?v=aEcBkk2p1_s&list=OLAK5uy_mgBXXAa3X0FDDyxip4PBlcGPW4vJXXWuk&index=1)は1970年の演奏・録音である。後者は作曲年に近い時期のものであり、前者はほぼ四半世紀後の演奏だが、随分感じが異なる。私は旧の演奏の方を好む。それに対して新の方からはどこか焦点がぼやけてた、冗長な感じを受ける(この曲の場合に限らず、ある時期以降の岩城指揮の演奏は総じてそのようなものに聞こえる。他方、若い頃の録音は現代作品の魅力をしっかり味わわせてくれる)。もっとも、これはあくまでも私の感じ方。新の方を「円熟」と聴く人もいるのかもしれない。

 

 さとうさおり氏は結局辞職することとなった。残念だが、自分の身を守るためにはそうせざるを得なかったのだろう。今までご苦労さまでした。そして、別の場面での今後の活躍に期待しています。

 それにしても、こんなことになるなんて、全く世も末である。この一連の件について若者の感想を聞いてみたいものだ。

2026年9月13日日曜日

ローレン・ラッシュも亡くなっていた

  前回に続いて「あの人は今(生きているのかな)?」と気になり、米国の作曲家、ローレン・ラッシュについて調べてみたところ、こちらも今年の2月に亡くなっていた。1935年の8月生まれなので、90歳だったということになる。

 このラッシュの名は日本ではほとんど知られていないが、なかなか魅力的な作品を書く人だった(もっとも私が知っているのも半世紀以上前の作品である)。追悼の意味で《dans le Sable》を久しぶりに聴く((https://www.youtube.com/watch?v=DQhQ0xqBGhw&list=RDDQhQ0xqBGhw&start_radio=1)。やはり名曲である。

2026年9月11日金曜日

ヴァーシャーリ・タマーシュが亡くなっていた

  時々、「あの人は今(生きているのかな)」?」と気になる。そこで今日はピアニストのヴァーシャーリ・タマーシュ(ハンガリー人なので名は「姓・名」の順)のことを調べてみると、果たして今年の2月に亡くなっていた。19338月生まれなので、92歳だったことになる。また一人、往年の名ピアニスト(たとえば次の演奏などどうだろうか:https://www.youtube.com/watch?v=RRl_O5LZhig&list=RDRRl_O5LZhig&start_radio=1)が世を去った。寂しいことだが、その分、現役のピアニストの活躍に期待しよう。

2026年9月9日水曜日

メモ(162)

  丸山眞男(1914-96)が熱烈な音楽愛好家だったのはよく知られたことであるが、その程度が半端ではなかったことは、中野雄『丸山眞男 音楽の対話』(文春新書、1999年)を読むとよくわかる。

 その丸山の音楽観や音楽論それ自体には今日さほど意味があるわけではないが、次の2つの点で分析、考察に値するものであろう。すなわち、①「丸山眞男」という人の考え方や感じ方を知り、理解する上での資料として ②日本の西洋音楽受容のある時期における1つの典型例として――この2点である。私は後者に興味がないではないが、それを追究する気力も時間もない。面白い研究になるはずだから、誰かやってくれないかなあ。