ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)といえば20世紀前半におけるチェンバロ復興の立役者だが、元々はピアニストとして出発した人である。そして、この楽器の演奏を完全にやめることはなかった。最晩年にもハイドンやモーツァルトのソナタをいくつか録音いているが、それがまことに味わい深い演奏なのである。今日も久しぶりに聴き直してみたが、やはり魅了されてしまう。
たとえば、モーツァルトのK 333(https://www.youtube.com/watch?v=cY1Ab-vFFDo&list=PLB8BDD273FBB81B07&index=14)。随所に自由な装飾を加えている点は、その後の世代の「楽譜に書かれている以外のことはしない」という流儀とは異なる。ランドフスカは「バッハを彼の流儀で弾く」と言い切った人だが、このモーツァルトはかなりロマン的に聞こえる(どころか、所々、同時代の「表現主義」的な瞬間さえある。そのことは、彼女が弾くバッハなどにも言えることだ:https://www.youtube.com/watch?v=KSg2x7Z_JFk&list=RDKSg2x7Z_JFk&start_radio=1)。が、それはそれとして、音楽の筋書きがはっきりわかる、説得力に富む演奏だ。
ランドフスカの演奏がかくも面白いのは、おそらく、彼女が演奏をたんなる「再現」ではなく、「再創造」だと考えていたからではなかろうか(そのことを裏付ける文言はすぐには引けないが、彼女の演奏のありようからそう推定される)。だとすれば、彼女の演奏を「真正さ」などという観点から聴いたり論じたりしても仕方があるまい。それにふさわしいのは演奏ぶりを「味わう」ことであろう。そして、そうすれば今日の聴き手や演奏家にもいろいろと得るところがあるはずだ。