2019年11月11日月曜日

調和に満ちた「プレイ」

 私もベートーヴェンの音楽を愛することでは人後に落ちないつもりだ。が、だからこそ、彼の「名曲」ばかりを取り上げた演奏会へはあまり行かない。新鮮な気持ちで作品や演奏に向き合うには、(少なくとも演奏会では)「ごくたまにしか聴かない」ことが必要だからだ。それゆえ、たとえば、交響曲の演奏会ならば、あと10年くらいは行かなくてもかまわないと思っている。そして、それくらいたってから実演を聴けば、大いなる感動を味わうことができるだろう、とも。

 この理屈から言えば、「ベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲演奏会」などというのは、私にとっては基本的には「避ける」べき類のものである。が、物事には例外がつきもの。アンドラーシュ・シフが自身が結成した楽団とともに演奏をするとあらば、これは聴き逃せない(http://www.izumihall.jp/schedule/concert.html?cid=1856)。……というわけで、910日と大阪のいずみホールに大いなる期待を持って出かけてきた。そして、深い感動を味わわせてもらった。

 一言でいえば、ベートーヴェンの凄さが改めてよくわかる演奏だった。たとえば、初日には第234番が弾かれたが、まず、第2番ではハイドンやモーツァルトの強い影響の中にも若きベートーヴェンの個性が強烈に感じられる。そして、続く第3番ではそこで新たに切り開かれている全く新しい劇的な音の世界に驚嘆させられ、第4番ではそこにさらなる広がりと深み、そして軽やかさが加わっており、心底魅了された。2日目の第15番でも同様。

 もちろん、これには演奏の見事さが大いに与っている。シフのピアノについては今更多言を要すまい。それに加えて興味深かったのは管弦楽とのやりとりだ。シフの仲間が集った楽団「カペラ・アンドレア・バルカ」(そのコンセプトについては上記リンク先を参照のこと)が独奏者とともに「作品」を軸に繰り広げたのは調和に満ちた「プレイ」である。一糸乱れぬ管弦楽がピアノと「対決」したり、主導権争いをしたりするのではなく、また、昨今少なからぬ影響力を持っているHIPの流儀にもさほどとらわれず、彼らは時にはごくささやかな(指揮者の「統制」が行き届いた管弦楽にはない、が、音楽としては全く問題のない)ほころびを見せながらも音楽として格段に充実した時を紡ぎ出す。そして、大昔の作品であるにもかかわらず、それは「今」の音楽として「も」説得力を持って鳴り響く。だから、聴いていてとても楽しい。

ともあれ、この演奏があまりに見事で面白かったものだから、すべてを聴き終えたのち、こう思った。「ベートーヴェンのピアノ協奏曲の実演は最低でもあと5年、いや、もしかしたら10年は聴く必要はあるまい」と。というわけで、いつものように、すべての演奏者とこの演奏会の実現に関わった方々に深く感謝し、お礼を申し上げたい。