團伊玖磨(1924-2001)の歌曲《花の街》(1947)は中学校の音楽の教科書に収録されているので知る人も多かろう。悪い曲ではないが、さりとて格別の名曲だとも思えない(ので、なぜこの曲が学習指導要領で明治以後の日本の歌として必修7曲のうちの1つに選ばれているのか、私にはよくわからない)。まあ、それなりに素敵な曲ではあるが……(https://www.youtube.com/watch?v=EgPLCtaZuEA)。
その《花の街》の中に「輪になって 輪になって かけていったよ」という一節がある(リンクした動画の42秒目あたり)が、実はこれにとてもよく似た曲がある。それはシャルル・グノー(1818-93)のオペラ《ファウスト》中の〈花の歌〉だ(次にあげる動画の23秒目以降に注目:https://www.youtube.com/watch?v=5LFB1eFuVFk)。まるで同じである。
では、團はこのアリアを「ぱくった」のだろうか? それはないと思う。たぶん、意識的に借用したのではなかろうか。そのことは元のアリアの曲名から想像される。つまり、「花」に関わる名曲への(今風に言えば)「オマージュ」として借用したのだろう、ということだ。さもなくば、それを《花の街》と題した曲になど恐ろしくて使えまい。「花」繋がりでオペラに明るい人ならば、すぐに両者の関係に気付くだろうから(私はオペラには「暗い」者なので、なかなかこのことに気付かなかった。しかも、直接グノーのアリアを知る前にラヴェルの《シャブリエ風に》にこの一節が引用されているものを通して知ったのである)。
もちろん、無意識の借用の可能性も(さほど高くはないだろうが)否定はできまい。が、その場合も「ぱくり」だとは言えまい。ただし、 團はある歌謡曲の盗作問題で意見を求められた際、意識せずになされた借用に対しても批判的なことを(のみならず、歌謡曲の世界を見下すようなことをも)述べている(正確な文言を引用したいところだが、手元に資料がないのでできない。神津善行『音楽の落とし物』(講談社、1980年)の中に件の盗作問題が取り上げられており、その中で團の言葉も引用されているので、興味のある方は参照されたい)。すると、《花の街》での〈花の歌〉の借用が無意識のものだったとすれば、團は天に唾する類の物言いをしたことになろう。さて、真相やいかに。