2020年2月15日土曜日

會田瑞樹 ヴィブラフォン ソロリサイタル in OSAKA

 今日は先にここで紹介した次の演奏会を大阪のザ・フェニックスホールで聴いてきた:

會田瑞樹 ヴィブラフォン ソロリサイタル in OSAKA

 前半
薮田翔一 :BillowⅡ
近藤浩平 :湖と舟 ~湖北の光と陰~
野田雅巳 :ヴァイブラさん ~1台のヴィブラフォンと2人の演者のためのちいさな劇 / 委嘱作品世界初演
糀場富美子:ねむりの海へ
木下正道 :海の手 

後半
野村誠  :相撲ノオト Sumo Note / 委嘱作品世界初演
坂田直樹 :Leptothrix / 委嘱作品世界初演
中村典子 :艸禱 popoli / 委嘱作品世界初演
佐原詩音 :玉蟲の翅、その結び   

結論から先に言えば、とても面白かった。
 何よりもまず、會田の演奏が素晴らしい。多種多様な作品に柔軟に対応しつつも、そのいずれにもこの人ならではの「何か」を強く感じさせるのだ。とともに、ヴィブラフォンという楽器の魅力を存分に味わわせてくれたのである。
 ただ、この楽器が作曲家にとってはなかなかに扱いの難しいものだということも感じられた。つまり、楽器の性格が強すぎるために、ともすると音楽がそれに飲み込まれてしまいかねず、さりとて、その「性格」から下手に逃れようとすると、なぜヴィブフォンを用いたのかがわからないような音楽になってしまうのだ(本日の演目のいくつかにそうしたいずれかの難点を感じさせられた。それらの作品にも部分的には魅力的な箇所があれこれあり、それはそれで楽しく聴かせてもらったが、1つの作品としては私を説得してくれなかった……)。
もっとも、逆にヴィブラフォンというのは作曲家にとって腕の示し甲斐のある楽器だとも言えよう。その意味で私が大いに心惹かれたのは糀場作品と坂田作品だ。いずれもヴィブラフォンを巧みに使いこなしつつ、説得力のある音楽を繰り広げていた。前者は何の外連味もなく本当に必要なことだけを語るといった体の音楽。また、後者は特殊効果も含めて「あの手この手」を用いながらもそれが表面的な効果に陥っておらず、見事に構成されていた。もちろん、そうした作品を活き活きと「現実化」する會田のパフォーマンスの見事さを忘れるわけにはいかない。
「パフォーマンスの見事さ」と言えば、この点でもっとも光っていたのは野村作品でのものだろう。それは演奏者にたんなる「作品解釈」や「作品の現実化」などではなく、もっと積極的な関わりとパフォーマンスを求めるものであり、會田はそれに十二分に応えていた。作品の途中では何ともシュールな光景が現出するのだが、會田は実にそれを自然にこなしていたのである。いや、この作品だけではない。結局、当日の他の作品でもそれぞれに彼一流のパフォーマンスを繰り広げていたのだ。
ともあれ、最初に述べたように、実に面白い演奏会だった。演奏者、作曲者、そして、この企画の実現に場を与えたホール関係者に深くお礼を申し上げたい。
(ところで、ヴィブラフォンの奏でる煌びやかな金属音とヴィブラートはなかなかに魅力的だが、これを今回初めて長時間続けて聴き、耳がかなり疲れた。それこそ演奏会が終わる頃には耳鳴りと軽い頭痛がしてきて、これが帰宅後もしばらく続くほどに。果たしてこれは私個人だけのことなのか、それとも他の人にとってもこの楽器の音というのはそうした危険をもたらすものなのか? もし、後者ならば、會田にも十分に耳の健康に気をつけてほしいところだ。己の道をさらに邁進するためにも)。