日本の「西洋音楽」がいわばクレオール語のようなものだということはここで何度か述べてきた。そして、それを別に負い目に(言い換えれば、「自分たちのやっている西洋音楽は紛い物だ」などと)感じる必要がないが、「違い」は知っておいた方がよいということも。
その「違い」をもたらす要因は2つある。1つは「言語」。そして、もう1つは「エートス」だ。私個人の近年の関心はもっぱら1つめのものにあるが、2つめのものも軽視していけないとは思っている。
もし私がもう20ほど若ければ、その「エートス」の問題に取り組みたかったところだ。そして、その際にとりわけ注目したい点の1つが、現代でも健在の「和を以て貴しとなす」という気風である。この西洋の個人主義とはおよそ対極にあるもの(もちろん、これはそのいずれがよいとか悪いとかいう話ではない)が日本の西洋音楽にどのような影響を及ぼしているのかを具体的な音楽(すること)のありようから探れば、なかなかに面白い結果が得られるのではないか(くどいようだが、そのことで「日本的西洋音楽」を批判するつもりは毛頭ない。かく言う私の「西洋音楽」も多かれ少なかれ「日本的」なものであるに違いないからだ)。
とはいえ、私にはその気力も時間もない。というわけで、「エートス」の面から「西洋音楽の日本化」を探ることについては若き学徒に大いに期待したい。