私はミュージシャンとしての山下洋輔(1942-)にはあまり興味はない。もっとはっきりいえば、彼の音楽が肌に合わないのだ(言うまでもないが、これはあくまでも私個人の好みの問題にすぎない)。が、文筆家としての山下洋輔には賛辞を惜しまない。今も自伝的エッセイ『ドファララ門』(晶文社、2014年 https://www.shobunsha.co.jp/?p=3402)を読んでいるが、面白くて仕方がない。
同書はかなり前に出ているのだが、私がその存在に気づいたのは昨年のこと。そして、「これはいつか読まねば!」と思っていたのだが、先日たまたま図書館で目にして迷わず借りて帰り、読み始めたわけだ。
「自伝的エッセイ」とはいうものの、紙幅の多くが割かれているのは(上記リンク先の紹介にあるように)「母方の」ルーツであり、それがまた何とも壮大な物語である。そうしたものを凡人が書くとイヤミになりかねないところだが、山下一流の語りはそんなことを微塵も感じさせず、とにかく読ませるのだ。いや、すごいものである(と思うにもかかわらず、山下の音楽を聴いてみたいという気にはならない。が、それはつまり、彼の文筆が決して余技などでない――音楽家としての活動からは独立した価値を持つ――ことの証しだと言えまいか)。
「よく生きる」のは決して容易ではないが、「よく死ぬ」(うまく人生の幕引きをする)こともそれに劣らず難しいことだなあとこのところ実感させられている。私自身はまだ当分死ぬ予定(というのも変な言い方だが……)はないが、それでも今から少しずつ準備しておかないといけないと思い始めている。もちろん、何よりもまず「今」を充実させ、そのときが来ても後悔しないようにすることが第一であるが。