たとえば欧米のキリスト教の信者たる作曲家がその他の宗教用音楽を書くことなどまずありえまい。ところが、日本では1人の「西洋音楽」の作曲家があるときは新旧のキリスト教用、またあるときは仏教諸派用、そしてまたあるときは別の新宗教用の音楽を平気でつくってしまう(もちろん、そうではない作曲家もいるが)。「注文があれば依頼に応えてどこが悪い?」というわけだろうか。あるいは「神」は1人だけではなく「八百万」いるからだろうか。ともあれ、まさにこうした点にも「西洋音楽の日本化」(くどいようだが、そのこと自体を批判するつもりは私には全くない)の一面を看て取ることができる。