シューマンの《ピアノと管弦楽のための幻想曲》の復元作業を行ったのは往年のシューマン研究の大家ヴォルフガング・ベティヒャー(1914-2002)だが、この人はナチス体制に与した反ユダヤ主義者であり、彼の研究におけるシューマンの文章や言葉の扱いにもそれが反映されているのだとか(Wikipediaの英語版や独語版を見ると、けっこうきわどいことが書かれている)。
となると、その研究成果(や、もちろん、その人物自体)に批判の目が向けられるのは至極当然であろうが、楽譜の校訂などはどう扱われていくことになるのであろうか。たとえば、ベティヒャーが校訂したHenle版の《幻想曲》作品17では第3楽章の最終頁に脚註で没になった当初のエンディング案が楽譜付きで示されている(これをチャールズ・ローゼンなどは賞賛している)が、同社の新版(当然、編者は異なる)ではその存在に言及されるのみで、楽譜は挙げられていない。もちろん、それは1つの考え方であり、どちらが絶対に正しいとか間違っているということではない。が、もしかしたら、新版の編者(と出版社)は、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということで、「問題人物」ベティヒャーの痕跡を消去しようとしたのかもしれない。もちろん、本当のところはわからないが……。
選挙に投票に行ったからといって何かがすぐに変わるわけではない。が、少なくとも行かないことにはその可能性は生まれない。にもかかわらず、先日の補欠選挙でもびっくりするほど投票率は低かった。果たしてこの国はこれからどうなっていくのであろうか。