超絶技巧を駆使した作品、とりわけ編曲ものを聴くと、しばしば「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という格言が脳裏をかすめる。最近も次の編曲でそのことを思った:https://www.youtube.com/watch?v=y7kTQCyDVn0&list=RDy7kTQCyDVn0&start_radio=1。これはヴェーバーの《ダンスの誘い》を19世紀半ばのヴィルトゥオーソ、カール・タウジヒ(1841-71)が華麗にパラフレーズしたものである。ピアノの演奏技巧を楽しめるという意味ではまことに見事な作品だ。が、そのことが同時にすばらしい原曲を損なうことにもなってしまう。もし原曲に何かしら不足があるのならば、編曲の付け足しは有益なものとなりうるが、この場合、ヴェーバーの原曲はそのようなものではない。ベルリオーズの管弦楽編曲のようなものならば、原曲の魅力を引き立てていると言えようが、このタウジヒのパラフレーズは「よけいなもの」を付け加えすぎているように私には聞こえて仕方がない。
これと同じことを私はゴドフスキが編曲したショパンのエチュードについてもいっそう強く感じる。ショパンの原曲もまた、何かを付け足す必要の一切ないものであることはわざわざ言うまでもあるまい。ゴドフスキのパラフレーズはピアノ演奏技巧の提示という点では先のタウジヒのものを遙かに凌ぐ作品であることは間違いないし、だからこそこれを高く評価する人がいるのは当然だとも思う。が、そのことを十分に認めつつも、ゴドフスキ編曲のショパン・エチュードを私個人は好きになれない。
先日、バルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》をコンタルスキー兄弟の録音で聴いた。すばらしい演奏である。それとともに、この作品の和声の美しさに魅了された。 天才が鋭敏な耳で聞き取って作品に結実させたものを凡人の私が果たしてどの程度聴けているのか心許ない(事実、この作品の美しさに気づいたのはそう昔のことではない)が、とにかくこの名曲をこれからも聴き続け、もっとよく味わいたい。