2026年9月5日土曜日

往年の「現代音楽」作品に魅せられる

  急に昔の日本の「現代音楽」が聴きたくなり、手持ちのCDを取り出してきた。松村禎三(1929-2007)、間宮邦生(1929-2024)、篠原眞(1931-2024)などの作品を久しぶりに触れてみたのだが、どれも皆、すばらしい。何気なく聴き始めたところ、すぐに音楽に引き込まれてしまい、耳が離せなくなった。昨今の「現代音楽」作品では残念ながらこうしたことはない。

 さて、その理由として考えられるのは、

 

①昨今の「現代音楽」作品の質が下がった。

②聴き手たる私の判断力が昨今の音楽に追いついていない。

③「現代音楽」というものがもはや時代に合わないものとなった。

④たんに私の趣味の問題。

 

といったことであろうか。

まず、①だが、たぶん、これはなかろう。少なくとも今世紀になってから私が耳にした新作はいずれも「よく」書けているように思われるからだ。

次の②だが、そうした可能性を完全に否定することはできない(が、私は「別に追いつかなくてもよいではないか」とも思っている)。

続く③だが、私はこの点を強く感じている。先にあげた作曲家たちの作品は1950~70年代につくられたものだったが、それらを私は「過去の音楽」として聴いている。そして、その「過去」と作品のありように親和性を覚える。言い換えれば、「時代の表現」としての説得力を感じたのである。その点、昨今の「現代音楽」作品に対してそうした説得力を感じることはあまりない。それはすなわち、「時代の表現」としてはもっとふさわしいものが他にあるように感じられるということだ。

そして、最後の④だが、これは少なからずあると思う。上の③にしたところで、突き詰めればそれは私個人の感じ方の問題だと言えよう。とはいえ、作品に向き合うのは個人であり、世間(斯界)の評価など関係ない。要はその作品が自分の「胸に響く」かどうかが肝心なのだから。そして、それだけに、昨今の新作でそうしたものに出会いたいと心底思っている。そして、「現代音楽」の作曲家たちには、そうした音楽に否定的な聴き手をも魅了するような作品を書いて欲しいものだ。

 

 東京都議のさとうさおり氏が議員辞職を撤回したとのこと。喜ばしいことである。氏は親しい人に何かがあったり、自身も脅迫されたりしたとのことだが、とんでもないことだ。選挙できちんと選出された議員の活動が暴力的な手段で妨げられることなどあってはならない(それはさとう氏だけのことではなく、彼女に敵対する議員に対しても同様)。議員には己の信条に従って存分に活動してもらいたいものであるし、さればこそ、投票する側としても一票を投じる意義があるというものだ。