2019年10月5日土曜日

おなじみの名曲がかくも新鮮に

 まだ少しばかり暑いが、それでも気分は秋。すると室内楽が聴きたくなる。そこで昨晩はハーゲン四重奏団(於:いずみホール)を聴いてきた。演目は次の通り:



ハイドン: 弦楽四重奏曲 第77番 ハ長調 op.76-3 「皇帝」
バルトーク: 弦楽四重奏曲 第3 BB93 
シューベルト:弦楽四重奏曲第13番 イ短調 op.29-1, D804「ロザムンデ」



弦楽四重奏曲の定番2曲の間に些か刺激的な作品を1つ挟んだ、巧みな選曲である(バルトーク作品ももちろんこの曲種では名曲としての地位を確立しているものの、少なからぬ聴き手にとってはまだ新鮮に聞こえるはずだ。かく言う私にとってもまた)。

 もっとも、これを「巧みな選曲」だと言えるのはハーゲン四重奏団の演奏が見事であればこそ。お決まりの名曲に対しては聴き手の耳は耐性ができており、ちょっとやそっとのことでは驚きもしなければ感動もしないが、昨晩の彼らの演奏はまことに新鮮に響き、それゆえに感動をもたらすものだったからだ。

 たとえば、「皇帝」四重奏曲。ハイドンの少なからぬ作品の常として、この曲にもあれこれ面白い仕掛けがなされている。が、そうした仕掛けに対する聴き手の驚きは作品を知るにつれてどんどん小さくなっていく。音楽の進行の中で「次はどうなる」かが予めすべてわかっているからだ。ところが、昨晩の演奏では、その「わかっている」はずのものが耳新しく聞こえたのである。だから、種々の仕掛けも実に面白く、最後までどきどきしながら作品を楽しむことができた。そして、これはシューベルトの場合でも同様。あの長大な作品がめったに演奏されないためにあまり耳になじみのない作品のように聞こえ、音のドラマの展開に一喜一憂させられる。

ハーゲン四重奏団は何も変わったことをしているのではない。作品をきちんと解釈して、しかるべき現実の鳴り響きを与えているだけである。が、決してたんなる何かの再現ではなく、あくまでも生きた音楽としてだ。

なお、バルトーク作品の演奏も実に見事。音楽はまことに生々しかったが、100年近い昔の作品などではなく、あたかも現在の世界の混迷を描き出しているかのように聞こえもする。

ともあれ、弦楽四重奏という媒体とその名作の魅力を存分に味わわせてもらった(どうもありがとうございました)。