2022年4月12日火曜日

今の世界が「昨日」のものになっても哀惜しない

  このところシュテファン・ツヴァイクの『昨日の世界』を読み返している。そこで描かれている「世界」の狭さが以前よりも気になるようになってはいるものの、この歳になればこそわかるようになり、考えさせられるようになり、いっそう楽しめるようになった箇所も少なくないので、途中で放り出すこともなく目下読み続けているわけだ(もっとも、同書の原田義人による翻訳はもはや賞味期限切れであり、そろそろ新訳が出てもよいと思う)。

ともあれ、今やツヴァイクにとっての「今日の世界」からも世界のありようは大きく変わっており、今後も全く予断を許さない。が、たぶん、世界がどうなろうと私が自分にとっての「昨日の世界」を哀惜することはないだろう。いつでも「今」をどう生きるかということ(もちろん、これは「自分さえよければよい」ということではない)の方が切実な問題だから。

 

ここ数日、ウィリアム・ボルコム(1938-)のピアノ作品集(Naxos3枚組)を聴いていたが、新旧あれこれの作品がそれなりの水準の演奏で収められており、まことに楽しい。中でも《12のエチュード集》(1956-66)は作品、演奏ともに出色で、その担当者クリストファー・テイラーの名はしかと私の頭に刻み込まれた。この人については何の予備知識も先入観もなしに聴いたわけだが、それだけにこのような「出会い」はうれしい。

 ボルコムのエチュードといえば、むしろ《12の新エチュード集》(1977-86)の方がポピュラーなようだが、「旧エチュード集」もなかなかよい作品なので、もっと弾かれてもよいのではないか。が、それはそれとして、上記テイラーの演奏で「新エチュード集」も聴いてみたいものだ。