数日前、大学院時代に学んだ山口修先生が亡くなられた。1939年のお生まれなので、今年で83歳になられるところだった。
私はいろいろな意味であまりよい学生ではなかったので弟子を名乗る資格などない(し、先生のある種の行いに対してはいくらか批判的だった)が、先生から何かを学んだことはまちがいない。また、そもそも私ごときを学生として受け入れ、大学院修了まで面倒を見てくださったことに対しては感謝の言葉もない。もし、そのとき拒まれていれば、私は郷里で自分をもてあまして悶々としながら生きていくことになったであろうから(これは何も「郷里」の環境が悪かったということなのではなく、あくまでも私自身の問題である)。なるほど、分不相応に「学に志した」がゆえの苦労を私はその後さんざん味わい、現在もそれに変わりはないが、少なくとも生きることに何かしらの楽しさを感じてはいるわけで、その大きなきっかけをつくってくださったのが山口先生(と渡辺裕先生)であった。というわけで、先生のご冥福を心からお祈りしたい。
ところで、近年、親世代の人がぽつぽつ鬼籍に入りはじめている(ちなみに、上記の山口先生の生年は私の母と同じ)。これがまだ祖父母世代のことならば、まだ親世代がいるということであまり自分の死に対して現実感がなかったのだが、今やいよいよ自分の順番も次第に近づいてきたことを感じずにはいられない。もちろん、時の流れは止めようもなく、「自分の順番」はやがて確実にやってくるのだが、それまでの不確定の時間をもっと大切に生きたいと以前にもまして強く思うようになっている。というわけで、周りを気にせず(ただし、大きな迷惑をかけるないように気をつけつつ)、我が道を行くのみである。基本は「楽しく生きる」、これである(その点、聞くところによると山口先生は最後まで人生を楽しまれたようであり、これは大いに見習わねばならない)。