このところ、自分の中でビートルズ熱が再燃している。とはいえ、実のところ私はこれまで彼らの音楽を散発的かつ間歇的にしか聴いてこなかった。アルバムで持っているのは『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』だけであり、それ以外の曲はベスト盤たるいわゆる「赤盤」「青盤」で楽しんできており、アルバム単位の聴き方をしてこなかったのである(通称『ホワイト・アルバム』だけは少年時代に友だちが貸してくれたのを聴き、〈レヴォリューション9〉に驚いたものだ)。それゆえ、ビートルズへの関心が「再燃」したというよりも、「はじめて本格的に火が付いた」という方が正しいかもしれない。
これにはきっかけがあった。いつものごとくご近所図書館であれこれ物色していたところたまたま目にとまったマーク・ハーツガード(湯川れい子・訳)『ビートルズ』(ハルキ文庫、2019年)がそれである。同書は著者の「ビートルズについてもっとも評価されるべき点はその芸術性にある、という確信から始まっている」(同書の巻頭のことば)ものだとのことだが、実際にその「芸術性」と具体的な音楽のありようを(限られた面においてだとはいえ)巧みに描き出しているように私には思われた。のみならず、その記述は「ビートルズを久しぶりに聴いてみようかな」くらいの気分でいた私の「ハートに火を付けて」しまったのである。
とはいえ、ビートルズのアルバムすべてを時系列に聴いていくだけの時間のゆとりもなければ、それを購う資力も今はない。それゆえ、まずは手持ちのものをじっくり聴き直すことからはじめよう。とりわけ、今回はただ聴くだけではなく、自分でも(すべてとはいわないまでも何曲かは)歌えるようにしたい(以前フォーク・ギターを手放してしまったことが悔やまれる……)。
私がはじめてビートルズの音楽を耳にしたのは小学生の頃であり、このバンドが解散してから10年も経っていなかった。それゆえ、それほど昔の音楽ではなかったわけだが、今やそうではない。ビートルズ解散から驚くべき事に半世紀以上が過ぎているのだ。すると、今の若者にとって彼らの音楽はどのように聞こえるのだろうか。そもそも、認知度はどのくらいなのだろうか?
ものには流行廃りがあり、かつての名曲のほとんどが埋もれてしまう。ビートルズをリアルタイムで受容した世代の人たちの多くが存命なので、まだしばらくは普通に聴かれ続けられるだろうが、あと50年もするとどうなるかはわからない。とはいえ、たぶん、ビートルズの音楽は何らかのかたちでそれなりに生き残り、「古典」の仲間入りをしているのではなかろうか(それを自分で確かめられないのは些か残念ではある)。