前回予告したとおり、原塁『武満徹のピアノ音楽』(アルテスパブリッシング、2022年)でなされていた楽曲分析への異論をいくつか述べることにしよう。それはたんなる反対意見などではなく、同書の分析を梃子に自分なりの武満の音楽のとらえ方を示すことを目的とするものだ(こうしたことを考えるきっかけを与えてくれた同書には深く感謝したい)。題して「武満徹のピアノ曲を聴く」。
では、本題に入ることにしよう。ただし、書き始めたら長くなりそうだったので、数回に分けることにした。今回はその1回目である。
まず、同書第一章で取り上げられている武満初期のピアノ曲《遮られない休息》第1曲についてである(ちなみに著者は現行の出版譜ではなく、改訂が施される前の初演譜を検討している)。その前半部のある和音の繋がり(原、上掲書:47。以下、引用・参照に際しては括弧と頁数のみ記す。なお、そこであげられている和音については次回、譜例を示すことにしたい)について、著者の原はそれを「無調」だとする先行研究の見解を退けつつ、ファーガス・キュリーの分析を批判的に受け継いでいる。すなわち、キュリーはそれを「C7(#9、13)→D♭7(#5、13)→C7(#9、11)」(41)だとし、「モダンジャズでは極めて自然なCのⅠ-♭Ⅱ-Ⅰという調的進行を彷彿させる」(同)と言うのだが、原は両端の和音が「C7」ではなく、それぞれ「Cm7(♭9、#11、13)」と「Cm7に#11を加えたもの」(42)だとみなす。また、真ん中の和音についても「G7-5(♭9)が核となり、右手のB♭や左手のD♮が付加的な音となる」(同)ものだとする。そして、その上でこう言う――「古典的な音楽におけるドミナント(Ⅴ)→トニック(Ⅰ)という終止形が孕む強い力は持たない。[……]これらの一連の核となる響きはメジャーとマイナーのあいだを自由に揺れ動いている」(43)。なるほど、楽譜を見る限りではこの原の説明は筋が通っているようではある。
が、実際のこの箇所を「聴いて」みると、私は何か妙な感じを受ける。そして、どうもキュリーの分析の方に分があるように思えるのだ(ただし、彼がC7をⅠとしているのは誤りである。この和音はCを主音とするならばⅣのドミナントであって、決してⅠではない)。原とキュリーの対立点は両端の和音をCm7ととるか、C7ととるかにある(キュリーが言うD♭7はG7の「代理コード」であり、両者の本質は同じである)。そして、この違いはまことに大きい。というのも、Cm7には安定性があるが、C7はそうでないからだ。後者の場合、件の和音の繋がりは「解決しないドミナント和音の連なり」だということになり、そこには調性感はあるものの、音の状態は格段に不安定だからである。そして、それがこの曲の響きの根本にあるように私には聞こえる。のみならず、この曲での「解決しないドミナント和音」中に含まれる、「三全音」こそが武満の初期から晩年までの創作を貫く重要なトポスだと私には思われる。
おっと、話が先へ進みすぎた。今回はここまでとし、次回は私が件の和音をCm7ではなくC7ととった理由の説明からはじめたい。
(以下、次回)