2022年8月22日月曜日

メモ(85)

  イタリアの哲学者ジャンニ・ヴァッティモ(1936-)がいう「弱い思考」とか「エテロトピア」とかいって考え方には強い共感を覚える。

 が、それはそれとして、彼がハイデガーをかくも重んじていることの意味は私にはまだよくわからない。それはこの「大思想家」のことをあまりよく思っていないからだろうか。もしかしたら、ヴァッティモが説くような読み方をすれば、私ももう少しハイデガーを楽しめるようになるかもしれない。

 他方、ヴァッティモがアドルノの「モダニズム」を批判していることには合点がいく。私にとってアドルノはもはや完全に「過去の歴史上の人物」であって、何らアクチュアリティーを持たなくなってしまった。そのテクストは彼が生きた時代のある面を読み解くにはそれなり意味を持つものだとは思うし、彼の音楽論は今でも楽しく読めはするものの……。

 

 もっとも、どんなテクストにも賞味期限のようなものはある(これは音楽作品も同じ)。そして、ほとんどのものは、いかにすばらしいことが述べられていようとも、時代の移り変わりの中で埋もれていく。にもかかわらず、今日「古典」として読み継がれているものがあるのも確かだ。が、それは何もそうしたテクストに「不変(普遍)の真理」が述べられているからではなく、新たな時代や場でも何かしら有意義な読み方ができるものだからだろう。