昨晩は以前からずっと実演を聴いてみたかったピアニスト、ダニール・トリフォノフ(1991-)の演奏会へ。メインの演目がJ. S. バッハの《フーガの技法》だっただけに果たしてどうなることかと不安もなくはなかったが、それは全くの杞憂に終わった。まことにすばらしい演奏だったのである。
トリフォノフがその前置きにしたのはブラームス編曲による〈シャコンヌ〉。有名で演奏効果の高いブゾーニ編ではなく、それに比べて些か地味な左手用の編曲を選んだわけだが、続く本編との繋がりはこちらの方が断然よい。最後の和音が鳴り止み、その余韻の中から最初のフーガが立ち現れる。実に巧みな演出ではないか。
その「本編」だが、オルガンのごとき多彩な音色を駆使しつつピアノならではの繊細かつ微妙なニュアンスを活かしたトリフォノフの演奏は、この凝った作品の音楽上のしかけのみならず、それに伴う「音の戯れ」を存分に味わわせてくれる。もしかしたら、こうした演奏を「演出過剰」に感じる人もいるかもしれない(し、そうした判断にもそれ相応の理があるとは思う)が、とにかく私はトリフォノフの演奏を楽しんだ。今までに聴いたことのあるピアノによるこの曲集のどんな演奏よりも(もちろん、その中には今回の演奏とは異なる魅力を持つものもある)。
最後のフーガは未完であり、バッハが中断したところで演奏を終えるのが(原典尊重の昨今の流儀では)普通だが、トリフォノフは自ら補筆しており、これがまことに興味深いものだった。このフーガの第3主題――BACHの名が織り込まれたもの――が現れるとき、トリフォノフはそれまでの2つの主題とは明らかに異なる決然とした調子で奏で始め、そのまま音楽が進んでいく。が、ほどなく「中断」箇所に到ると、音楽はがらりと雰囲気を変える。そこで彼が書き加えた音楽は、未完の音楽にきちんとした結末を与えるものだというよりも、いわば行き場を失って宙にさまよう音の魂を成仏、もとい、昇天させようとするもののように私には感じられた。のみならず、引き続いて演目の最後に演奏されたマイラ・ヘス編曲の《主よ、人の望みの喜びよ》もその流れで、つまり、魂の昇天を祝うものとして、深い感動をもって聴いたのである(もちろん、これはあくまでも私個人の感じ方にすぎない)。
アンコールには大バッハの息子のうち2人、すなわち、ヴィルヘルム・フリーデマンとカール・フィリップ・エマヌエルの曲が弾かれた。いずれも魅力的だったが、とりわけ後者の軽妙洒脱、才気煥発な音楽は面白く、トリフォノフの演奏も見事。というわけで、演奏会の最初から最後まで余すところなく楽しませてもらった。どうもありがとうございました。
(なお、この日の演目は既発売のCDに収められている。興味のある方はお試しあれ:https://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F-%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95-Daniil-Trifonov/dp/B0979VH1DK/ref=sr_1_3?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=3VJBHKQPR5BWY&keywords=trifonov&qid=1676380663&s=music&sprefix=trifonov%2Cclassical%2C187&sr=1-3)