楽譜というものは便利なものだが、音楽を学ぶ過程であまりそれに頼りすぎたり信用しすぎたりすると、実際の音楽を聴く力、ひいては表現する力が十分には育たないことになるのかもしれない。というのも、楽譜というのはどれほど精密であっても、音楽のすべてを書き表せるわけではない(どころか、むしろ書き表せないものが少なくない)からだ。
その意味で、「耳コピー」、すなわち、実際の音楽を聴き取り、それをそっくりそのまま、音だけではなく微妙なニュアンスやイントネーションなどを(歌の場合には発音までも)楽器なり歌なりで再現する能力は「音楽する」、とりわけ外国の音楽を学ぶ上では重要であろう。ポピュラー音楽のミュージシャンにとってはそんなことは「当たり前」なのだろうが、クラシック音楽畑の人にとっては?
いわゆる「フォルマシオン・ミュジカル」は優れたソルフェージュの教育法だが、日本で行う場合はそこに「耳コピー」――教材となる演奏(唱)は、楽曲の作曲家と同じ言語を母語とする優れた演奏家によるもの――の練習も追加すればよいと思う。ソルフェージュに限らず、演奏教育の場でもまた(もちろん、個人で実践している人はいるだろうが、正式なカリキュラムにはないはずなので)。