2025年11月27日木曜日

やはりすごい本だった

  川崎弘二『NHKの電子音楽』(フィルムアート社、2025年:https://www.filmart.co.jp/pickup/33386/)を大学図書館から借りてきて読み進めているが、何ともすごい本である。書名には「NHKの」とあるが、周辺情報もたっぷり収められているので、『日本の電子音楽史』としてもよいほどのものだ。

とにかく、「よくもまあ、こんなことまで調べてあるなあ」と驚かされることの連続である。たとえば、諸井誠と黛敏郎の共作《7のヴァリエーション》をめぐる諸井と別宮貞雄などとの論争については、両者の言い分をきちんと押さえ、著者自身の冷静な考察がなされている。のみならず、諸井と別宮の師である池内友次郎が2人を呼び出して「あなたたち、今すぐここで死になさい!」(前掲書、430頁)と説教したことまで調べており、それに対しても「師である池内はそのような論争が不毛であることを諭したかったのかもしれない」(同)とコメントをしているのだ。万事がこの調子であり、緻密な調査と冷静な考察、そして、随所ににじみ出ている「電子音楽への愛」に私は一読者として深い感銘を受けずにはいられない(同書があまりに高価なので購えないのが残念だが、それでもこのような名著が読めるのは本当にありがたいことである)。とともに、同書で描かれている「現代音楽」が活気を持ち得た時代に些かの羨望の念を抱いてしまう。

2025年11月24日月曜日

別宮貞雄の名著『音楽の不思議』

  私は別宮貞雄(1922-2012)を「作曲家」としてよりもむしろ「文筆家」として高く評価している。作曲家としてもそれなりの存在だとは思うが、それ以上に私が深い感銘を受けるのは彼の著作からだからだ。

 音楽之友社からは3冊の著作が上梓されていたが、中でも『音楽の不思議』に収められた音楽論はいまだ何ら輝きを失っていない。そこでは音楽というもののありようについて(当然、すべてではないにしても)まことに明快かつ平易に説かれている(私はそのすべてを受け入れているわけではないが、多くの部分に納得している)。それゆえ、音楽愛好家はもちろん、音楽を専門に学ぶ若者にも強く一読をお勧めしたい。

 そこで、現在それらの出版状況を調べてみたところ、音楽之友社のものはすべて版が途絶えている。残念なことだ。親族の手で3巻の著作集が編まれており、そこには音楽之友社刊のうち2点が収められているのだが、何としたことか『音楽の不思議』が抜けているではないか。これは残念。というわけで、同書に興味をお持ちの方は古書店か図書館でどうぞ(なお、『著作集』にしたところで、現在品切れだという。その第3巻は単行本未収録の文章を集めたものだというから読是非ともんでみたいものだが)。

2025年11月18日火曜日

あれこれ

  今朝、ラジオをつけるとドヴォジャークの「新世界」交響曲が流れてきた。こうした「名曲」の場合、しばらく聴いてみてよさや面白さが感じられれば聴き続けるし、そうでなければすぐにスイッチを切ることにしている。今回は幸い前者だった。

「新世界」のような超有名作品でこうなるにはなかなかにハードルが高いのだが、今朝のものはすばらしい演奏だったのである。それはイシュトヴァン・ケルテス(1929-73)指揮、ヴィーン・フィルの演奏。それを聴きながら、「ああ、何とよい音楽だろう」と改めて感じ入った。演奏・作品ともにである。

 

小澤征爾の評伝、中丸美繪『タクトは踊る――風雲児・小澤征爾の生涯』(文藝春秋、2025年)(https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163919485)をご近所図書館で借りて読んだ。小澤について書かれたもので「なるほど」と思ったのは同書がはじめてかもしれない。

 

このところ、楽譜書きソフトDroricoと格闘している。これまで使っていたのはFinaleの下位ヴァージョン(廉価版)たるPrint Musicだが、Finaleがフィナーレを迎えたので、どうしたものかと思案していた。すると、Doricoが比較的安価で乗り換えられることを知り、思い切って購入してみたのである。操作の仕方が全く異なるので、はじめは五里霧中だったが、次第に慣れつつあるところだ。そして、Print Musicよりも使い勝手がよいと感じている(もっとも、私が使っていたのは2014年版なので、両者を比較するのは酷かもしれないが……)。

2025年11月12日水曜日

ブーレーズへのオマージュ

  先週土曜に「ブーレーズへのオマージュ」(於:京都コンサートホール)を聴いてきたが、とても充実した演奏会だった(詳細は次を参照:https://www.kyotoconcerthall.org/boulez2025/)。

 演目は次の通り:

 

ブーレーズ:12のノタシオン、ドメーヌ、フルートとピアノのためのソナチネ

ラヴェル:夜のガスパール

シェーンベルク(ウェーベルン編):室内交響曲 1

 

前半がブゥレーズ作品、後半が彼に影響を与え、かつ、好んで指揮した作曲家の作品で、作曲家ブゥレーズの核となるものがわかる、とてもよい選曲である。

 演奏もすばらしかった。その中心となったのがピアニストの永野英樹。独奏やデュオでも何とも鮮烈な音楽を聴かせてくれたが、とりわけ深い感銘を受けたのがシェーンベルク作品での演奏だ。これは元々15人奏者のための作品をピアノ五重奏に編曲したものなのだが、その中でピアノが担う役割の大きさと重さは半端ではなく、それをきっちりこなしつつ、他の奏者を引っ張っていくさまはまさに「聴き物」だった。もっとこの人のピアノを聴いてみたいものである(なお、他の演奏者もそれぞれに見事だった)。

2025年11月7日金曜日

音とお茶とことばの時間

  遅ればせながら今月2日に出かけてきたイヴェントの話題を。それは「音とお茶とことばの時間」(於:オンガージュ・サロン(https://www.engage-salon.com/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88/))というものだが、これが期待をはるかに超える味わい深い会だった。

 それはたんに「音楽+詩」というものではなく、両者の大きな相乗効果がもっと豊かな場をつくりあげていた。まず別室から聞こえてきたのはドビュッシーのピアノ曲《夢》。生の音だが演奏者は眼前におらず、そのうち、そこに言葉が重なってくる。これまた語り手の姿は見えず、声が上から降ってきたのだ(それらを聴くうちに、私はなぜか少年時代のことが思い起こされて、少しばかりせつない気持ちに……)。

 こんなふうにはじまった会は、その後もいろいろな趣向が凝らされており(先のリンク先にあげられているチラシに「構成」者の名があげられている点に注意されたい)、最後まで楽しく聴く(観る)ことができた。が、それ以上に興味深かったのは、音楽と詩(ピアニストと役者)のスリリングな共演ぶりだ。それはたんに「音楽」と「詩(演技)」を足し算したものなどではなく、それ以上のものが実に多様な姿を示しつつこちらに迫ってくるのだ。そして、それは時には大いなる安らぎを、時には深い感動をもたらしてくれたのである。というわけで、この会の演(奏)者、構成者、企画運営に携わった方々に心からの御礼を。