2022年11月28日月曜日

ブゾーニのヴァイオリン・ソナタ第1番

 金澤節さんは「中村攝」時代にヴァイオリニストの西田博氏とともにブゾーニのヴァイオリン・ソナタ2曲を録音している。これはまだLP盤の頃だったが私は発売と同時に購い、愛聴していた。が、いろいろあって手持ちのLPは手放してしまい、この名盤もずっと聴けないままだった。

 が、今日、それを本当に久しぶりに聴くことができたのである。実はそのLPは一度CD化されており、それを(すでに生産中止なので)中古で購ったのだ。一聴して、昔日の感動が全く色褪せていなかったことがうれしかった。とりわけ、第1ソナタの演奏についてはこれ以上のものを知らない。

2ソナタは今や普通のレパートリーになってしまい、あれこれ録音があるが、第1はまだそれほどブゾーニの個性がはっきりしていないこともあってか、今ひとつ人気がないようだ。とはいえ、私はこのソナタが大好きで、これまでに何種類かの録音を聴いている。が、それぞれに悪い演奏ではないものの、どこか「ぬるい」感じがして気に入らなかったのだ(実際、それらの演奏はテンポがいくらか遅めだった。その一例:https://www.youtube.com/watch?v=W1jrLuSs1kw)。その点、今日聴いた西田・中村コンビの演奏はまことにスリリングで、つい2回繰り返して聴いてしまった。この名演奏をお聴かせできないのがまことに残念である(興味のある方は中古盤を探されたい)。

ところで、この第1ソナタ第1楽章の冒頭にピアノが奏でる音型はそれ以前の作品、ピアノ・ソナタヘ短調の主題に由来する(https://www.youtube.com/watch?v=d5fEcwWX5ZM。ちなみに、この録音も残念ながらテンポが遅い)。アントン・ルビンシテインに献呈されている作品だが、これもなかなかの名曲である(終楽章にはベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア・ソナタ」の影響も)。こうしたものが聴けるのならば、私は喜んで演奏会場へ出かけるのだが……。

 

ブゾーニに関して日本語で読める文献は甚だ少ない。彼自身の文章の翻訳は(戦前に出たものを除けば)もちろん、きちんとした評伝も1つもない。今ならばある程度は読者が得られると思うので、まずは翻訳の登場が望まれる。

その翻訳としては、ブゾーニ自身の著作に加え、ブゾーニ版バッハの《平均律クラヴィーア曲集》の全訳もあればよいと思う(後者の編集は第1巻と第2巻ではコンセプトがかなり異なっており、なかなかに面白い)。また、アントニー・ボーモントの『作曲家ブゾーニ』(1986)は今となっては少し古いが翻訳される価値は十分あるし、ラインハルト・エルメンの『フェルッチョ・ブゾーニ』(1996)もコンパクトにまとまった好著である。

というわけで、若者の仕事に期待したい(私ももう少し若ければ挑戦するのだが……)。

 

2022年11月25日金曜日

ジャイアントロボ

   私には妙な癖がある。それは知人を何か特定の音楽と結びつけてしまうことだ。これは考えてそうするのではなく、いつの間にか頭の中で自然にその結びつきができてしまい、しかも一旦そうなると両者が切り離せなくなるから困る。しかも、その結びつきは必ずしもその人のイメージとぴったり合致しているわけではない。むしろ、「なぜ、よりによってこの曲がこの人と……」と自分で困惑することの方が多い。

テレビドラマ『ジャイアントロボ』の主題歌もその1つ(https://www.youtube.com/watch?v=meHiyWqlJvk)。なぜかこれのイントロと歌い出しが私の頭の中では某氏と結びついてしまっている。先日、この曲が急に頭の中で鳴り響き、それに伴い、もはや疎遠になってしまった某氏のことも懐かしく思い出すこととなった。

 

ところで、この『ジャイアントロボ』だが、調べてみると、放映期間は196711月から19684月となっており、1966年生まれの私がリアルタイムで見たはずがない。にもかかわらず、この主題歌はなんとなく知っていたわけだから、再放送でも見たのだろうか。とにかく、まことにインパクトのあるゴージャズな曲であり、今聴いてもよくできていると思う。

これを歌っていたのが「東京マイスタージンガー」というコーラス・グループで、『キャプテンウルトラ』の主題歌(https://www.youtube.com/watch?v=xxTiP9xEY0w)や『ウルトラセブン』の「ウルトラ警備隊の歌」(https://www.youtube.com/watch?v=z-bGeKTROy8)も彼らが担当している(と、今回調べてわかった)。これらの曲は家にシングル盤があったので子どもの頃に大いに親しんでいたものである。やはり今回聴き直してみたが、素直に「いいなあ」と感じる。思えば、私の音感の土台はたまにしか聴く機会のなかったクラシック音楽の名曲などではなく、幼年、少年時代に意識することなく覚えることとなったこの種の音楽で養われたのであろうか(頭に残っているものは、その調性までしかと覚えている)。

2022年11月18日金曜日

驚き

  ある演奏家が公開レッスンの場で1人の生徒が持ってきた作品について「そんな曲よりももっと優先されるべき曲があるはずだ」という類のことを言ったと伝え聞き、かなり驚いた。なるほど、人生というものは短いので「あれもこれも」というわけにはいかず、どこかに的を絞らなければならないという点ではこの演奏家の言うことも理解できる。が、その「優先されるべき曲」、すなわち「名曲」の選択は人それぞれのはずで、自分の価値観を人に押しつけようとしてはいけない。それがたとえ善意からなされた発言だとしても。

また、「名曲」の範囲を狭く限定することは、演奏家にとって得策ではない。というのも、皆が同じような曲を取り上げるとすれば、自分の演奏のセールス・ポイントをはっきりさせることが難しくなるからだ(もちろん、ごくごく限られた「天才」は別であるが……)。そして、いつでもどこでも同じような作品が大して代わり映えしない演奏でしか聴けないとなれば、聴き手の足が演奏会場から遠のくのも道理である。

もっとも、昔に比べれば演奏会や録音などで取り上げられる作品の多様性は随分増している。もはや「定番名曲」だけでは(西洋芸術)音楽界を維持できないことに少なからぬ演奏家(や興行主)が気づいているからだろう。そして、それだけになおのこと、件の演奏家の発言には驚かされるわけだ(が、この人が定番名曲しか取り上げないとしても、そのこと自体を非難するつもりは全くない。それは「生き方」の問題なのだから)。

 

 

2022年11月15日火曜日

さわると秋がさびしがる

  先日、散歩道の紅葉を眺めていたとき、ふと「さわると秋がさびしがる」という一節が頭に浮かんだ。「そうだ、確かそんな題名の詩があったはずだ」と記憶の糸をたぐりよせてはみたものの、それ以上のことは思い出せない。そこで帰宅後に調べてみると、詩を書いたのはサトウハチローで、それに中田喜直が曲をつけていたことがわかった(この歌自体の解説:https://ysfc.weblogs.jp/chronofile/2006/10/post_4972.html、そして、歌の音源:https://www.youtube.com/watch?v=xXqaBSS4yrY)。 19678~9月にNHKの『みんなのうた』で初放送とのことだから、それなりに古い歌だということになるが、私は曲も詩の内容も全く知らなかった。にもかかわらず、曲名だけがなぜか頭の中に入っていたのである。

 その先日の散歩の際、件の題名のみならず、それに付随するかたちでなにやらヴァイオリンのフレーズも浮かんだ。「秋の日の ヴィオロンの……」というわけではないが、とにかく、ヴァイオリンがフラジオレットで奏でる音楽が確かに頭の中で鳴り響いたのである(それはそののち知った「童謡」の雰囲気とはおよそ異なるものだった)。その具体的な中身はもはや覚えておらず、雰囲気だけが脳裏に留まっているのだが、散歩中にまた、かすかな「ヴィオロンの」音が聞こえてくるかもしれない。

2022年11月12日土曜日

« Rien ne peut être fait sans la solitude.»

 « Rien ne peut être fait sans la solitude.(孤独なしには何も成し遂げられない)»――こう述べたのは、かのパブロ・ピカソ。先日、彼の展覧会を観てきたが、作品自体のみならず、そこで紹介されていたこの言葉に大いに元気づけられた。自分は研究の面で(積極的に好きこのんでではないにしても)概ね「孤独」に生きてきたが、「これでいいのだ」と改めて思った次第。もちろん、その利点を活かした成果をきちんと生み出さねばならない、とも。

 「孤独」といえば、セロニアス・モンクなどは、ある面でまさにそれを貫いた人だといえよう。そして、そんな彼の音楽を聴くと、やはり励まされる。

 そのモンクだが、人生のすべてにおいて孤独だったわけではない。周りには信頼できる人たちがいて、彼を支えていたのだから。そして、その意味でモンクは実に幸せな人である。

 かく言う私もこれまでの人生で少なからぬ人に助けられてきた。そうした助けがなければ今頃どうなっていたことか……(中には残念ながら疎遠になってしまった人もいるし、それを今更どうこうしたいとは思わないが、感謝の念は決して失っていない)。そんな私にできることとがあるとすれば、何か。それは、たとえ微力でも他の人の助けとなることをすることであろう。自分でできることなどたかがしれていると重々承知の上で。

2022年11月7日月曜日

春秋社から出ている拙著、拙訳書の在庫状況

 春秋社から出ている拙著、拙訳書の在庫状況は次の通り:

 

 (1)ジム・サムスン『ショパン 孤高の創造者』→品切れ・重版未定

 (2)『黄昏の調べ――現代音楽の行方』→在庫僅少

 (3)『演奏行為論――ピアニストの流儀』→在庫あり

 

 (1)はちょうど10年前に出たものだが、ようやく「品切れ」になった。たぶん、よほどのことがない限り重版はされないだろう。翻訳の出来はさておき、内容はすばらしい本(であり、訳註もかなり丁寧につけた)なので、ショパンの音楽を強く愛する人は今のうちに手に入れておいて損はないはずである(まだAmazonでは入手可能。紀伊國屋書店では注文不可になっている)。

 (2)は6年前に出ているが、これもあと数年で品切れになるだろう。この本では歴史も述べてはいるが、あくまでも主眼は美学的考察にあり、種々の「現代音楽史」と並べて読めば、その「違い」を楽しんでいただけるはずである。

 (3) は直接書店で手にとってごらんいただきたい。「ピアノ」以外の音楽に関心のある方にも。というのも、この本は「ピアノ演奏論」ではなく、西洋芸術音楽の演奏行為一般について論じたものだからだ。書名が感じさせるほどには内容は難しくないはずなので、是非!


 『ミニマ・エステティカ』の執筆は大いに難航している。夏休み明けに内容について大きな方向転換をしたためだが、それ以前の考え方にはもはや戻れない(し、戻りたくない)ので、とにかく奮闘を続けたい。

2022年11月5日土曜日

今日の気分

  今日の気分は、なぜかこれである:https://www.youtube.com/watch?v=ZB6GkA54n_Q。ミンガスにはとても興味があるので、いつか集中して聴いてみたい。

 それにしても、私が好んで聴くジャズは概ね1950~70年代のものであり、それ以前や以後のものにはあまり食指が動かない(もちろん、マイルズやハービーなど、自分が好むミュージシャンのものは別である)。なぜだろう? もう10歳若ければ、そうした時期のものも「お勉強」的に聴いたかもしれないが、もはやそんな時間はない。残念ながら。

2022年11月4日金曜日

ルビンシュタインはシマノフスキの親友ではあったが

 往年の名ピアニスト、アルトゥール・ルビンシュタインは作曲家カロル・シマノフスキの親友であり、作品の演奏者であったが、録音はそれほど行っていない。交響曲第4番(協奏交響曲)とマズルカの抜粋などがあるだけで、3曲のピアノ・ソナタ、とりわけ第2番と第3番や《メトープ》《仮面》などの傑作は録音されずじまいだった。

すると、こう勘ぐりたくもなる。つまり、「実のところルビンシュタインはそうしたシマノフスキの作品がそれほど好きではなかったのではないか?」と。もちろん、これは録音の有無からだけ判断するわけにはいかず、演奏会の記録をも丹念に調べて見る必要があろう。とはいえ、ルビンシュタインのレパートリーや演奏スタイルを思えば、やはり「実のところ……」と考えたくもなろうというもの。ただ、もしかしたら、本人にはその気があってもレコード会社からOKが出なかったのかもしれないが……。

そのルビンシュタインがベルリンでシマノフスキの第2ソナタを弾いたとき、ゲンリフ・ネイガウスはそれを聴いて己の才能に絶望し、自殺を図ったという(ルビンシュタインの自伝『華麗なる旋律』を参照のこと)。が、その後シマノフスキ作品の演奏を積極的に行うのみならず、(リヒテルを含む)弟子たちにも教えたのがこのネイガウスだった(ちなみに彼はシマノフスキの親戚である)。なるほど、スクリャービンの名手でもあった彼の演奏スタイルはシマノフスキとも相性がよい。手を故障する前のネイガウスによる第3ソナタはどのようなものだったろうか。聴いてみたかったなあ。