中村紘子の最後の著書『ピアニストだって冒険する』(新潮社、2017年)を再読した。この人の筆の冴えには本当に唸らされる。とにかく読ませる文章だし、内容にもいろいろと考えさせられるところが少なくない。
が、それはそれとして、1つ切なくなったことも。それは「ハイ・フィンガー奏法」批判、井口ファミリー批判をこの期に及んでも執拗に続けていたことだ。なるほど、そうした批判に一理あるのは確かで、中村は決して根も葉もない讒言を述べているわけではない。が、反面、それはまことに一面的なものであり、しかも、その初出たる『チャイコフスキー・コンクール――ピアニストが聴く現代』(中央公論社、1988年)から30年ほどを経ても何ら中身がヴァージョン・アップされていないのは考えものである。が、私が「切なくなった」のはそれが原因ではない。むしろ気になるのは、そうした彼女の執念の動機である。もちろん、それはあくまでも想像にしかすぎないが、たぶん、自分が批判するピアニズムから完全に自由になることができなかったことを中村が自覚しており、そこから生じる恨み辛みの念、そして、それ以上にもはやどうにもできないことへの「残念な気持ち」が長年に及ぶ批判の源だったのではなかろうか。そして、もしそうだとすれば、これはまことに切ない話である(ちなみに、ラフマニノフの第3協奏曲、第1楽章第2主題を2つの演奏で聴き比べてみられたい。1つめは中村の演奏(4’02”から):https://www.youtube.com/watch?v=GpiYJE6fPw0、そして、もう1つはラフマニノフ自身の演奏(3’38”から)である:https://www.youtube.com/watch?v=EPM6bEBerRo)。
しかも、中村は著書の中で繰り返し、ピアニストとして、音楽家として「かくあるべし」ということを手を変え品を変え述べている。すなわち、一元的な価値観によって音楽の世界をとらえているのであり、その中での「ランク」付けにもまことに敏感である。まあ、その人の生き方の問題だから、そうした価値観を否定するつもりはない。が、彼女の場合、それが結局、知らず知らずのうちに自縄自縛になっていた可能性が高い。もし、「人は人、私は私」とある程度割り切れて、ピアニストとして自分なりの道を進めていたのならば、上記のごとき執拗な批判をすることはなかったろうし、もっと楽に楽しく生きられたのではなかろうか。そして、この点でも私は切なくなる。
ところで、中村は「日本的演奏」の原因を日本独特の誤った演奏メソッドと精神性にあるとしている。なるほど、そうかもしれない。だが、それだけではなく、もっと大きな原因があるように私には思われる。それは何か。たぶん、西洋の諸語とは根本的に異なる「日本語」という言語の音とリズムの特性であり、表現様式であろう。
私の住む市では今週末に市長選の投票日がある。が、その広報が届いたのは今日である。おかしな話だ。今回に限らず、選挙のときはいつもこうだ。まるで「普通の人はできるだけ投票に来ないでください」とでも言わんばかりに。