今日は伏さしぶりに演奏会へ。それは『片岡リサ プロデュース 新・日本の響き和のいずみ 第3回』である(https://www.izumihall.jp/schedule/20250830)。いや、実に面白かった。
演目は(上のリンク先にもあるが)次の通り:
◆オープニング演奏 大阪府立東住吉高等学校 芸能文化科3年生による演奏
長唄「越後獅子」
◆和楽器の現代作品、そして未来へ
楽器紹介コーナー(長唄・地歌・義太夫)
玉岡検校:鶴の声
山根明季子:マザーズ(委嘱新作)
◆古典作品から和楽器の歴史と魅力を知る
「壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段」より
冒頭の「越後獅子」では20挺近い三味線の響きはしばしば歌声を覆ってしまいはしたもののその若さ溢れるパフォーマンスには得も言われぬすがすがしさがあり、すばらしい幕開けだった。
続く楽器紹介コーナーは既知の事柄のおさらいではあったが、楽しく聴かせてもらった。とともに、やはり3種の三味線の中では太棹、すなわち文楽で用いられているものが自分にはもっとも好ましく感じられることを再確認した次第。
私が今日の演奏会に出かけた動機の1つは、山根明季子の新作が聴けるということだった。この人の作品はとにかく「聴かせる」力を持っており、今回もそうだった。箏と太棹三味線、それに録音されたボーカロイドの音声を用いた作品だったが、音楽のつくりはまことにシンプルで、ボーカロイドが歌う主題(土台)となる旋律の反復に2つの楽器が絡む、というものだ。その反復の際にその都度前者は「歌い方」を、後者は奏法・音色(やちょっとした音の動き)を微妙に変え続けるのだが、これが旋律の呪文のような(それこそもう一歩誤るとうんざりさせられてしまうその寸前で踏みとどまっている)反復に不思議な奥行きを与え、ドラマを生み出す。作曲者自身がプログラム・ノートに記した作品の構想の成否はともかく、聴いていて面白い作品であり、作曲者の技の冴えに唸らされる。ただ、敢えて言えば、そこでは箏と三味線はあくまでも「素材」に過ぎず、作品の本質的な部分でそれらの楽器が十分に活かされてはいない(これは1人山根だけではなく、邦楽器を用いる西洋音楽の作曲家が抱える難問である)ように感じられた(たぶん、この作品の構想は、西洋楽器の小さなアンサンブルによっていっそうよいかたちで実現できるのではなかろうか?)。が、それはそれとして魅力的な作品を聴かせてくれた作曲者には感謝。
さて、最後は私にとっての今日の本命、「壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段」である。これは期待通りの見応えある舞台だった。ところが、自分は文楽をまだ見慣れていないので、ここでは「とにかくすばらしかった」としか言えない(桐竹勘十郎の人形遣いや豊竹呂勢太夫の語り、そして、他の演者たちの芸に魅せられてはいても、それを具体的に述べる語彙と表現を私はまだ手にしていない)のが残念(ただ、1つ「おやっ?」と感じたことがある。それは国立文楽劇場で文楽を観(聴い)ていたときに比べ、随分楽器の音が大きく聞こえたことだ。これはホールのすばらしい音響特性のゆえだろうか? だとすると、太夫の声も同様により大きく聞こえるはずなのだが、なぜか私には楽器の音の方が大きく、場合によっては太夫の声を覆い隠してしまっていたように感じられたのである。他の聴衆にはどのように聞こえていたのだろうか?)。
ともあれ、全体としてまことに充実したすばらしい演奏会だった。今回の演者の方々、作曲家、そして、演奏会の企画・運営に関わった方々に心から御礼を申し上げたい。