2026年5月31日日曜日

メモ(157)

  「論理」や「合理性」が決して「普遍的」なものではなく、「文化的なもの」であり、日本でのそれが諸外国でのそれと異なるものである(渡邊雅子『「論理的思考」の文化的基盤』、岩波書店、2023年)とすれば、日本人の西洋芸術音楽の作曲や演奏にもそのことが何かしら反映されていることだろう。いくら彼の地の流儀で学んだとしても、消し去ることのできない「地」の部分が残り続けるのではなかろうか。これはプラス、マイナスの両面で探られてしかるべき問題だと思う。

 

 すばらしい演奏だ:https://www.youtube.com/watch?v=dQNS2qlFo7U&list=RDdQNS2qlFo7U&start_radio=1。こうしたものを聴くと、たんに奏法の違いだけではなく、音楽というもの自体に対する認識のありようが何かしら現在のピアニストとは異なっているのではないかと思われてならない。もちろん、現在の人だからこそできる何かもあるわけではあるが。