ピアノ学習においては音階と分散和音は必修項目とされる。それらは音楽の中で重要かつ出現頻度の高い構成要素なので、これだけを取り出して練習することは確かに「合理的」だとはいえる。
だが、時折、「自分は音階の練習など一切しなかった」と宣うピアニストもいる。たとえば、レオポルト・ゴトフスキ(1870-1938)がそうだが、彼は基本的には独学の人だった。にもかかわらず、あれだけの超絶技巧を身につけたわけだから、いわゆる「天才」であり、そのような人の事例は参考にはなるまい。とはいえ、彼ほどではないピアニストでもやはり「自分は……」と言う人もいないではなく、それは結局、実際の作品を練習する中で音階を弾けるようにしたということなのだろう。
ところで、その音階や分散和音の練習だが、得てしてオクターヴのユニゾンでなされているようだが、このやり方については批判もあるようだ。というのも、両手のつくりは左右対称なので、ユニゾンだと同時に異なる動きをしなければならず、それだけ注意が分散されるからだろう。ならば、わざわざ両手でユニゾンを弾くよりも、注意深く片手ずつ練習し、その動きに習熟する方がいっそう合理的だというわけだ。
さらにいえば、両手ユニゾンの音階や分散和音が実際のピアノ作品の中にどれだけ出てくるかと考えてみると、意外に多くはないことに気づかされる。協奏曲や室内楽曲ならば他の楽器が絡んでくるのでピアノがユニゾンの音階や分散和音を弾いてもさまになるが、独奏曲の場合には一人ですべてをこなさなければならないわけなので、自ずと使用場面は限られざるをえない(音階よりも分散和音の方が使い道が些か多いということはあるにしても)。となれば、音階が分散和音をすべての調で機械的にドリルのように練習するよりも、実際の作品に即して練習する方が実際的だし、「音楽的」だと思われるが、どうだろうか。それとも、こうしたやり方は非効率的だとして却けられるべきものなのだろうか?