2025年7月30日水曜日

「名手たちによるフォルテピアノと18世紀オーケストラによる演奏会」

  昨晩、食後にラジオをつけると、NHK-FMで「名手たちによるフォルテピアノと18世紀オーケストラによる演奏会」(2024311日 東京オペラシティ コンサートホール)というのをやっていた。演目を確認するとモーツァルトの交響曲を「前座」とし、ショパンのピアノと管弦楽のための作品をメインに据えたものだった。まさにショパンの部が始まろうとしていたところなので、「ものは試し」ということで聴いてみたが実に面白かった。それにはショパンの作品もさることながら、フォルテピアノという楽器の魅力も大きく与っていた。

 ショパン作品で演奏されたのは次の通り(括弧内は担当ピアニスト。管弦楽はすべて「18世紀オーケストラ」(指揮者なし)):

 

ポーランドの民謡の主題による幻想 作品13(川口成彦)

演奏会用ロンド「クラコヴィアク」作品14 (トマシュ・リッテル)

ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品11 (ユリアンナ・アヴデーエワ)

 

はじめの2曲はなかなか演奏会では耳にできないが、もっと演奏されてもよい佳曲である。そして、演奏がまた実によい。私はこれらに普通のピアノによる録音で親しんでいたが、フォルテピアノの演奏で聴くと音楽の繊細な味わいがいっそう強く感じられた(同じことは管弦楽についても言える)。

 ところが、最後のアヴデーエワの演奏には些か違和感を覚えた。つまり、なるほど立派な演奏なのだが、どこか窮屈な感じがぬぐえないのだ。それはいわば、日頃着物を身につける習慣のない人がそれを着たときの挙措動作に看て取られるようなものだと言えようか。つまり、フォルテピアノという楽器がそこでは演奏への制約のように感じられたのである。この楽器ならではの繊細な表現を十分に引き出せず、「力技」で何とか乗り切っているような感じなのだ。先立つ2曲の演奏ではそのようなことはなかった。ということはおそらく、アヴデーエワがまだフォルテピアノの扱いに習熟していないからではなかろうか(もっとも、これはあくまでも私個人の聞こえ方にすぎない。全く逆の評価を下している人もいるのだから:https://spice.eplus.jp/articles/327054)。

  それはともかく、改めてフォルテピアノという楽器の特質、モダン・ピアノとの違いをとても面白く感じた。ところで、ショパンが現代のピアノとピアニストによる演奏を聴いたらどんな感想を持つだろうか(もしかしたら彼は憤慨するかもしれないが、だからといって現代の音楽実践が誤っているということなのではない)。

 

  

  


2025年7月24日木曜日

急にネルソン・フレイレが聴きたくなり

  急にネルソン・フレイレが弾くショパンの第3ソナタを聴きたくなり、手持ちのCDを取り出してきた。彼には新旧2つの録音があるが、今回は1969年の旧録音(発売は1972年)を。1944年生まれの人なので当時25歳になる年だったわけだが、詩情溢れる何とも見事な演奏である。やはり名ピアニストだったと再確認した次第。いちおう「だった」と言うのは2021年に亡くなっているからだが、録音で聴ける以上、私にとってフレイレは現在も名ピアニスト「である」。

 そこでふと気になって、いったい現在フレイレのCDがどれくらい出ているものかを調べてみる。すると、驚くべきことにごくわずかしかなく、生産中止で現在では入手できないものが多かった。まさに「去る者は日々に疎し」の言葉通りである。あれほどすばらしいピアニストなのに……。

 もっとも、これは彼に限ったことではない。生前にいかに盛名を馳せた音楽家であっても、ほとんどの人がそうなってしまう。現在活躍している音楽家が数多おり、また、次々と新星が登場してくるのだから。それゆえ、亡くなった人が比較的早く忘れられていくのは仕方がないことなのかもしれない。

 とはいえ、録音が商品として市場から姿を消したとしても、今やインターネット空間の中で生き残る可能性はある。実際、件のフレイレの録音もYou Tubeで聴くことができる(https://www.youtube.com/watch?v=15QCHMHhXW4)。だが、こうなると現役の音楽家はたいへんである。死者もライヴァルになってしまうのだから。……いや、もっと違ったふうに考えた方がよかろう。すなわち、死者は生者の「ライヴァル」などではなく、は共に音楽の世界をかたちづくるものとなる、と。

2025年7月21日月曜日

メモ(148)

  いわゆる「高級文化」には銭がかかる(言うまでもないが、そのこととその具体的な良し悪しは全くの別問題である。「高級」であることは内容の価値を保証するものではない)。「クラシック音楽」もまた然り。その水準を維持するのみならず、それ自体の存続のためには「商売」を度外視したところでお金をかけざるをえない。そこをケチると、まず間違いなく、あっという間に衰退してしまうことだろう。

 だが、それはそれとして、クラシック音楽のすべてがそのようなものであるわけではないし、また、そうあるべきではないとも思う。お金のかかる「一流」(という言い方もあまり好きではないが)以外のところでも、多種多様な豊かな音楽活動が営まれてこそ、本当の意味でクラシック音楽が1つの文化としてこの国で存在意義を持つのだと言えよう。

 「一流」と「その他」はいわば車の両輪である。そのどちらが欠けても物事はうまく進まない。が、現在の私がいっそう強い関心を持つのは後者である。それはおそらく、1人の愛好家としての(客観的に見れば何ほどのものでもないが、自分にとってはかけがえのない)音楽生活に立脚して物事を考え、感じているからだろう。手持ちの材料や現在置かれている状況の中で人がいかに豊かな音楽生活を送ることができ、さらには、それが人生をどう豊かにできるのか――これこそが私にとっての切実な問題である。

2025年7月18日金曜日

ブゥレーズ作品の旧版の扱い

  ブゥレーズは少なからぬ自作を何度も改作している。が、生前にドイツ・グラモフォンから出たCDの「作品全集」に収められているのは、1曲を除き、最終版による録音だ。ということはつまり、彼は最終版がベストだとみなしており、それ以前のものはお蔵入りさせたいということなのだろう(他のところから自身の指揮による旧版の録音が出ているが、それは「記録」ということで容認したのだろうか?)。

 すると、現在、彼の作品を演奏する場合も最終版に拠らねばならないということになるのだろうか? なるほど、作曲家の意向を重んじるならばそうすべきだ。実際、改作された出版譜の旧版が(〈マラルメによる即興曲Ⅰ〉を除いて)絶版になっている(ということはつまり、演奏用の貸し譜もない)以上、著作権が切れるまではブゥレーズの意志は貫徹されることになろう。

 とはいえ、作曲者が自分の作品の最良の理解者だとは限らない。本人が気づいていない「よさ」を他人が作品に見出す可能性は十分にあろう。だからこそ、いろいろな作曲家について、その没後、本人がお蔵入りにした旧版を取り上げる演奏家がおり、それに拍手喝采を送る聴き手もいるわけだ。ならば、同じことが将来ブゥレーズ作品でも(生き残ったものについては)起こるに違いない。著作権が切れるのは随分先のことなので、私にはそれを確認することはできないが。

2025年7月14日月曜日

何とも不思議なシューマンの室内楽曲

  このところシューマンの室内楽曲をあれこれ聴き直している。先日も弦楽四重奏曲第1番作品411やピアノ三重奏曲第3番作品110を楽譜を見ながら聴いたが、改めて何とも不思議な音楽だと感じた(もちろん、「不思議な」は讃辞)。彼の他の器楽曲、すなわち、ピアノ独奏曲や管弦楽曲などではあまりこうした感じは受けない。もしかしたら、シューマンの器楽曲でもっとも先鋭的なのは、そして、幻想的なのは室内楽曲なのかもしれない。ともあれ、当分はあれこれの作品に耳を傾けることにしよう。

 

今日は愛犬セラフィン(2002-2014)の命日。肉体は滅んでも私の中で今も生き続けており、それは今後も変わるまい。


 

2025年7月11日金曜日

『ミニマ・エステティカ』のためのメモ

  自分にとってかけがえのないものであるならば、他人が何と言おうと、大切にすべきであろう。逆に、あるものが自分を苦しめるのならば、どれほど世の中で「よい」とされているものであっても、そんなものはない方がよい。

自分が「よい」と思っているものであっても、他人も同じふうに思うとは限らない。その逆も然り。

 音楽は人々を繋ぐものでもありえれば、分断するものでもありうる。

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 新しい憲法の構想案の中で「国家主権」を明記している政党があるが、ただただ驚愕。狂気の沙汰としか言いようがない。

2025年7月8日火曜日

坂本龍一の習作の行方

  坂本龍一が大学受験まで学んだ「松本作曲教室」では定期的に門下生の作品発表会を行っていた。のみならず、出品作品をすべて印刷して冊子にまとめていた。当然、その中には坂本少年の作品も収められている。

 件の冊子はあくまでも私家版であり、公的には出回っていない。大量の在庫が松本民之助亡き後も当人の作品集や著書とともに保管されていたのだが、住居を処分する際に遺族がすべて裁断処分してしまった(と、当事者の松本清先生からうかがった)。それゆえ、坂本龍一が少年時代にどのような曲を書いていたかは知りようがない。それは習作にすぎなかっただろうが、学生時代の作品から推し量れば、かなりの高水準の習作だったであろうと思われる。

もっとも、坂本本人はそうした習作を他人に見られたくはなかったようだ。亡くなる少し前にその返却を清先生に頼んだというが(このことは以前、このブログで話題にした)、さもありなん。まあ、松本作曲教室の「作品集」を今でも保存している門下生はいるかもしれないから、探し出せば坂本少年の作品を見ることはできるかもしれない。が、そんな野暮なことはしない方がよかろう(こう言うと、「そう思うならば、そもそもこのようなことを話題にすべきではない」とつっこまれるかもしれない。が、坂本の習作に対する好奇心が自分にあることは否定できない)。