2025年9月16日火曜日

ランドフスカのピアノ演奏

  ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)といえば20世紀前半におけるチェンバロ復興の立役者だが、元々はピアニストとして出発した人である。そして、この楽器の演奏を完全にやめることはなかった。最晩年にもハイドンやモーツァルトのソナタをいくつか録音いているが、それがまことに味わい深い演奏なのである。今日も久しぶりに聴き直してみたが、やはり魅了されてしまう。

たとえば、モーツァルトのK 333https://www.youtube.com/watch?v=cY1Ab-vFFDo&list=PLB8BDD273FBB81B07&index=14)。随所に自由な装飾を加えている点は、その後の世代の「楽譜に書かれている以外のことはしない」という流儀とは異なる。ランドフスカは「バッハを彼の流儀で弾く」と言い切った人だが、このモーツァルトはかなりロマン的に聞こえる(どころか、所々、同時代の「表現主義」的な瞬間さえある。そのことは、彼女が弾くバッハなどにも言えることだ:https://www.youtube.com/watch?v=KSg2x7Z_JFk&list=RDKSg2x7Z_JFk&start_radio=1)。が、それはそれとして、音楽の筋書きがはっきりわかる、説得力に富む演奏だ。

ランドフスカの演奏がかくも面白いのは、おそらく、彼女が演奏をたんなる「再現」ではなく、「再創造」だと考えていたからではなかろうか(そのことを裏付ける文言はすぐには引けないが、彼女の演奏のありようからそう推定される)。だとすれば、彼女の演奏を「真正さ」などという観点から聴いたり論じたりしても仕方があるまい。それにふさわしいのは演奏ぶりを「味わう」ことであろう。そして、そうすれば今日の聴き手や演奏家にもいろいろと得るところがあるはずだ。

2025年9月15日月曜日

グバイドゥーリナやシチェドリンが亡くなっていた

  今年の3月にソフィア・グバイドゥーリナが亡くなっていたことを(またしても)遅ればせながら知った。1931年の10月生まれなので、93歳だった。私は彼女の音楽には関心はあったのだが、さほど多くは聴いてこなかった。それゆえ、これからのお楽しみということにしたい。

なお、ふと気になって旧ソ連で同世代の大物ロディオン・シチェドリン(1932 12月生まれ)が存命か調べてみると、果たして今年の8月に亡くなっているではないか。彼の音楽も好ましく思っていたのだが、上に同じ。

聴きたい作曲家と作品はいろいろあるが、時間には限りがあるので、あれもこれもというわけにはいかない。自分の直感に従うのみである。過去の人に対してだけではなく、今現在の作曲家に対してもまた。

2025年9月8日月曜日

アンジェイ・パヌフニクの音楽に深い感銘を受ける

  ポーランドの作曲家アンジェイ・パヌフニク(1914-91)の作品を私は以前から好ましく感じていた。が、ここ数日、管弦楽曲を中心に改めていろいろと聴き直してみたところ、深い感銘を受け、本当にすばらしい作曲家だと確信するに到った。

同国で同世代のヴィトルト・ルトスワフスキが次第に先鋭的な作風へと進んでいったのに対し、パヌフニクの作風は20世紀後半にあってかなり穏健だ(ちなみに前者は共産主義体制の母国に留まったのに対し、後者は英国に亡命して活動した)。しかしながら、音楽の中身は非凡で、そこには独自の世界がある。たとえば、次の曲などどうだろう:https://www.youtube.com/watch?v=mMMQ5ItF6Xs&list=RDmMMQ5ItF6Xs&start_radio=1。独奏ピアノ、そして管弦楽のありようはまことにユニークだ。とりわけその神秘的な響きには得も言われぬ魅力がある。この曲は1957年からスケッチがとられはじめ、62年にいったん仕上げられるものの、1982年に改訂がなされている。あるいは、次のピアノ曲(1984年の作)などどうだろう:https://www.youtube.com/watch?v=5DL2ew-Z-ag&list=RD5DL2ew-Z-ag&start_radio=1。これら2曲はいずれも音数はさほど多くないのに、音楽の密度は実に高い。作風は保守的でもなければ前衛的でもないが、やはり時代の何かがそこには確実に刻印されているようだ。と共に、どこか時代を超越しているようなところもある。とにかく、今聴いても実に面白い。

それにしても、このパヌフニクのような作曲家の作品を聴くと、20世紀の音楽にはもっといろいろと探ってみるべき点があることがわかる。これからの音楽のありようを考える上ででもだ。

2025年8月30日土曜日

西洋音楽のホールで文楽を

  今日は伏さしぶりに演奏会へ。それは『片岡リサ プロデュース 新・日本の響き和のいずみ  第3回』である(https://www.izumihall.jp/schedule/20250830)。いや、実に面白かった。

 

演目は(上のリンク先にもあるが)次の通り:

 

オープニング演奏 大阪府立東住吉高等学校 芸能文化科3年生による演奏

長唄「越後獅子」

◆和楽器の現代作品、そして未来へ

楽器紹介コーナー(長唄・地歌・義太夫)

玉岡検校:鶴の声

山根明季子:マザーズ(委嘱新作)

 

◆古典作品から和楽器の歴史と魅力を知る

「壇浦兜軍記  阿古屋琴責の段」より

 

冒頭の「越後獅子」では20挺近い三味線の響きはしばしば歌声を覆ってしまいはしたもののその若さ溢れるパフォーマンスには得も言われぬすがすがしさがあり、すばらしい幕開けだった。

続く楽器紹介コーナーは既知の事柄のおさらいではあったが、楽しく聴かせてもらった。とともに、やはり3種の三味線の中では太棹、すなわち文楽で用いられているものが自分にはもっとも好ましく感じられることを再確認した次第。

私が今日の演奏会に出かけた動機の1つは、山根明季子の新作が聴けるということだった。この人の作品はとにかく「聴かせる」力を持っており、今回もそうだった。箏と太棹三味線、それに録音されたボーカロイドの音声を用いた作品だったが、音楽のつくりはまことにシンプルで、ボーカロイドが歌う主題(土台)となる旋律の反復に2つの楽器が絡む、というものだ。その反復の際にその都度前者は「歌い方」を、後者は奏法・音色(やちょっとした音の動き)を微妙に変え続けるのだが、これが旋律の呪文のような(それこそもう一歩誤るとうんざりさせられてしまうその寸前で踏みとどまっている)反復に不思議な奥行きを与え、ドラマを生み出す。作曲者自身がプログラム・ノートに記した作品の構想の成否はともかく、聴いていて面白い作品であり、作曲者の技の冴えに唸らされる。ただ、敢えて言えば、そこでは箏と三味線はあくまでも「素材」に過ぎず、作品の本質的な部分でそれらの楽器が十分に活かされてはいない(これは1人山根だけではなく、邦楽器を用いる西洋音楽の作曲家が抱える難問である)ように感じられた(たぶん、この作品の構想は、西洋楽器の小さなアンサンブルによっていっそうよいかたちで実現できるのではなかろうか?)。が、それはそれとして魅力的な作品を聴かせてくれた作曲者には感謝。

さて、最後は私にとっての今日の本命、「壇浦兜軍記  阿古屋琴責の段」である。これは期待通りの見応えある舞台だった。ところが、自分は文楽をまだ見慣れていないので、ここでは「とにかくすばらしかった」としか言えない(桐竹勘十郎の人形遣いや豊竹呂勢太夫の語り、そして、他の演者たちの芸に魅せられてはいても、それを具体的に述べる語彙と表現を私はまだ手にしていない)のが残念(ただ、1つ「おやっ?」と感じたことがある。それは国立文楽劇場で文楽を観(聴い)ていたときに比べ、随分楽器の音が大きく聞こえたことだ。これはホールのすばらしい音響特性のゆえだろうか? だとすると、太夫の声も同様により大きく聞こえるはずなのだが、なぜか私には楽器の音の方が大きく、場合によっては太夫の声を覆い隠してしまっていたように感じられたのである。他の聴衆にはどのように聞こえていたのだろうか?)。

ともあれ、全体としてまことに充実したすばらしい演奏会だった。今回の演者の方々、作曲家、そして、演奏会の企画・運営に関わった方々に心から御礼を申し上げたい。

2025年8月22日金曜日

高橋悠治の名盤が復活していた

  私が少年時代にLPで愛聴していた名盤がCDでいつの間にか復活していた。それは高橋悠治のアルバム『シーズンズ』(https://kojimarokuon.com/products/alm-14)。ジョン・ケィジとJ. S. バッハの作品を収めたライヴ録音盤である。選曲・演奏ともにまことにすばらしい。中でもケィジの《四季》は珠玉の名曲であり、彼の音楽をあまり知らない人でもたちまち魅了されることだろう。また、バッハのトッカータハ短調BWV911の演奏もまことにスリリングであり、私はいまのところこれ以上に面白い演奏を知らない。

演奏は1974年のものだというから、およそ半世紀前だということになる。私が聴いていたのは1980年代前半だが、それでも40年ほど前である。とにかく、この盤が好きで繰り返し聴いたのだが、そのうちLPやそれダビングしたカセット・テープを再生できる機械を手放してしまったので、長らく「お別れ」の状態が続いていた。だが、今回のCDによる復活のおかげでこの名盤に再び触れることができるようになるわけで、とてもうれしい(まだ購っていないが、近いうちに是非!)。未聴の方も是非、お試しあれ。

2025年8月15日金曜日

マーラーの第9交響曲のすばらしいピアノ独奏版

  昨晩、たまたま次のものを見つけた:https://www.youtube.com/watch?v=RscXoTm75n8&list=RDRscXoTm75n8&start_radio=1。マーラーの第9交響曲のピアノ独奏版である。これがまことにすばらしい編曲なのだ。

まず、原曲のかなり複雑なポリフォニーを巧みにピアノで再現している。元のスコアの「眺め」と比べてこの編曲の譜面(ふづら)はかなりすっきりしているが、実際の鳴り響きは不足感を微塵も起こさせない。

のみならず、ごく自然なピアノ音楽に仕上がっているところがすごい。もちろん、そのための工夫を編曲者は随所で行っている。たとえば、上の動画の第4楽章冒頭数小節をごらん(お聴き)いただきたい(58’12”から)。原曲は弦楽器で奏でられる箇所だが、スコアの音をそのままピアノに置き換えるだけでは、ここは何ともしまらないことになってしまう。というのも、ピアノは「打楽器」なので一度出した音は減衰するしかなく、弦楽器のように長く延ばす音は出せないからだ。そこで、この編曲者は動画の楽譜に示されているような処理を施すわけだが、うまいものである。

さらにいえば、上の動画は編曲者イアン・ファーリントン(https://www.iainfarrington.com/)自身による演奏だが、これがまたすばらしい(もっとも、よく聴くと、なんだか自動演奏ピアノを用いているように聞こえなくもない。が、仮にそうだとしてもその音楽づくりはきちんとしている。なお、同氏のピアニストとしての能力の高さは次のものからわかる:https://www.youtube.com/watch?v=VcYFns8nito&list=RDVcYFns8nito&start_radio=1)。この人はマーラーの交響曲を第8と《大地の歌》を除いてすべて編曲し演奏しているが、(つまみ食い式に聴いた限りでは)そのどれも見事だ(それらはすべてYouTubeで公開されているし、楽譜も出版されている(https://www.ariaeditions.org/store/c3/Piano_solo.html))。

 

今日は81回目の終戦の日。やはりいろいろなことを考えさせられる日である。

2025年8月13日水曜日

岩井克人『経済学の宇宙』に深い感銘を受ける

  たまたまご近所図書館で手にした岩井克人『経済学の宇宙』(日本経済新聞出版社、2015年)を読んでみたが、実に面白い。著者が主流派たる「新古典派経済学」から離脱し、古典との対決を通して独自の理論――たんなる「経済学」に留まらない「人間科学」――を構築していくさまはまことに感動的なドラマだ。同書刊行の2015年から10年が経っているわけだが、その後、著者の思索はどのように進展したのだろうか。是非とも知りたいものだ(ただし、私のような門外漢にもわかるようかたちで書かれたものによって)。

同書でとりわけ印象深かったのが、ある時期以降の著者にとって「倫理」の問題が重要なものとなっていたことである。それは現在の世界を席巻している新自由主義――この国をも蝕んでいる恐るべき思想――ではおよそ顧みられない問題だけになおのこと。

もっとも、別のところでこの著者が20117月の時点で「法人税減税」や「消費税増税」を支持していた(浜田宏一『21世紀の経済政策』、講談社、2021年、173頁)のには正直驚いた。その後2回行われた消費税増税はこの国の景気に大きな打撃を与えているわけだが、そのことについて著者の見解を聞いてみたい気がする。

ところで、毀誉褒貶の激しいMMT(現代貨幣理論)だが、支持派と反対派両者の言い分を見比べる限りでは、前者に分があるように思われる(前掲書『21世紀の経済政策』の著者――新自由主義に与する人――でさえ、MMTのことを「その社会的役割を考えると、日本のように財政バランス墨守という財務省的見解が旧来からマスコミに刷り込まれている社会には、解毒剤として望ましいと思う」(同書、612頁)と述べているのだ)。もちろん、私は経済学理論にはど素人だが、少なくとも「失われ30年」を現出させた実績を持つ「財政規律」とやらを重んじる政策――アベノミクスはそれとは異なるものだったにしても、結局、大勢を変えるに到っていないのではないか――(とその担い手たち)を信じることはできない。

今、不景気な世の中にはまことに不穏な雰囲気が漂っているが、為政者には「衣食足りて礼節を知る」 という格言をよくよくかみしめてもらいたいものだ(なお、ヒトラーのように経済施策によって国民の心を掴んだ人もいるので、現在この国で積極財政を政策として掲げる政治家であっても、その他の面についてはよくよく用心する必要はあろう)。今日は柄にもないことを述べたが、たまにはこんなことも……。