2025年7月4日金曜日

「現代音楽」からの転向者たち

  「現代音楽」が華やかなりし頃に最前線で活躍していた作曲家の中には「転向」を果たし、そうした音楽の批判者となった人たちが少なからずいる。いったい何ゆえに彼(女)らは自らの過去を否定し、その後、どのような創作を行うに到ったのか――このことについて具体的な事例を集めて考察してみることは20世紀の西洋芸術音楽史を見る上で意義深いことであろう。

昨晩、恩師の松本清先生とGoogle Meetで四方山話をしている中で先生の兄、松本日之春(1945-2023)氏の「転向」のことが話題の1つとしてあがった。日之春氏はある時期以降、創作のありようを大きく変えているが、それは結局、自分の「前衛」時代や「現代音楽」へのアンチテーゼとしてあるものだったとのことだ(それゆえ、清先生との会話の中で晩年の日之春氏は過去の自身の創作はもちろん、「現代音楽」についても否定的に語っていたという)。これはなかなかに興味深いことである。

 清先生や日之春氏の父たる作曲家・松本民之助(1914-2004)の歌曲を私は数年前から関心を持って調べているが、勉強するばかりではなく、この辺で「中間報告」のような文章を書かねばと思っている。公刊された作品数が少なく、ほとんどが自筆譜のまま残されているのでまだその全貌は掴みかねているが(作品のほとんどは歌曲で総数8000曲を超える)、その「歌曲」の創作美学については何とかまとめられるような気がしているので、もうじき始まる大学の夏休み中にその作業に(も)励みたい。