こういう曲を聴くと、私は胸の高鳴りを抑えることができない:https://www.youtube.com/watch?v=ovWrgqO3JYY。素直に「いいなあ」と思う(のみならず、自分も合唱の中で歌ってみたくなる)。
この名曲〈なぎさ歩めばの〉作曲者は佐藤眞(1938-)だが、彼の合唱曲としては〈大地讃頌〉も広く愛されている曲である(だからこそ、そのカヴァー・ヴァージョンをつくったバンドさえあったわけだ。が、そのときの作曲者の狭量な対応――「〈大地讃頌〉事件」として知られるもの――にはかなりがっかりさせられた)。そして、おそらく後世の人は佐藤眞をいくつかの交響曲をはじめとする種々のそれなりに充実した作品ではなく、これらの合唱曲の作曲者として記憶することになるのではなかろうか(これはなにも佐藤に限ったことではない。たとえば、先頃亡くなった野田暉行(1940-2022)なども、名作《ピアノ協奏曲》(1977)などではなく、児童合唱曲の佳品《空がこんなに青いとは》の作曲者として一般の人には記憶される可能性が多分にある。そして、こうしたことに20世紀後半以降の芸術音楽の困難な状況と問題性を見ないわけにはいかない)。
なお、佐藤は上にあげた〈なぎさ歩めば〉を含む組曲《旅》の改訂版をつくっている。が、その出来に私は些か疑問を覚える。〈なぎさ歩めば〉には前奏が新たに付け加えられているのだが(https://www.youtube.com/watch?v=cbi0Ckce2aA) これを「改訂版」が必ずしも「改良版」ではないことの好例だといえば辛辣すぎるだろうか。……が、こう言いたくなるのも〈なぎさ歩めば〉という名曲を愛していればこそである。もちろん、この(私には蛇足だとしか思えない)前奏を好ましく感じる人もいることだろう。