音楽にはそれぞれにスタイルがあり、それに見合った「聴き方(型)」があるというのは本当だろう。が、だからといって、聴き手が想像力を働かせて自由に聴いていけないというわけでもあるまい(もちろん、「しかるべき聴き方(型)」と「自由な創造的聴き方」とでは属するゲームが異なる。この点については拙著『演奏行為論』を参照のこと。なお、前回取り上げたカウエルの作品に対して、私はまさに後者の聴き方をしたわけである)。音楽の抽象性はそうした「自由」へと聴き手を誘うものであり、それがなければ大昔の曲が今でも聴かれ続けるはずもない。