伝統を踏まえて作品を解釈する演奏家の存在はクラシック音楽にとって必要不可欠だが、その対極にある「作品をダシに創造を行う」演奏家の存在も欠かせまい。両者はいわば楕円の2つ(もちろん、それ以上でもかまわない)の焦点のごときものであり、その緊張関係と生産的なやり取りが斯界を活性化させるだろうから(これは他の領域の事柄についてもいえることだろう。1つの中心点にすべてが収斂させられるような世界など、考えただけでもぞっとする)。もし、クラシック音楽が純然たる「伝統芸能」になってしまうとすれば、その未来はあまり明るくはない。が、たぶん、そうはならないだろう(と思いたい)。
先日、たまたまつけたラジオで松田聖子が歌う〈瑠璃色の地球〉を耳にしたが、曲にも歌いっぷりにも魅せられてしまった。また、今日は中島みゆきの〈ファイト!〉がラジオで他の人によるカヴァーでかかっており、本人の歌が気になったのでYou Tubeで聴いてみたところ、これにもぐっと引き込まれる。