ラヴェルの《夜のギャスパール》第1曲〈水の精〉を使ってちょっとした戯れを。好奇心旺盛な方はお試しあれ。
(1)まず、インターネットのブラウザで複数(試しに4つぐらい)のタブを開いておき、それぞれで次の動画(https://www.youtube.com/watch?v=fbKoTckghqs。別にこれでなければならない理由はない。が、広告のないものがよい)を再生できるように準備しておく(2つめ以降のタブには動画のアドレスをコピーして貼り付ければよい)。(2)それらを順番に任意の間隔で再生していく。(3)そして、途中で個々の動画の音量を変えたり、停止したり、巻き戻しや先送りをする――以上である。すると、そこには音の万華鏡が現出するだろう。
もちろん、いきあたりばったりにではなく、事前に表をつくって、音の重なりを厳密にコントロールするという手もあろう(そうすれば、1つの「作品」とすることもできよう)が、まあ、たわいもない遊びなので、偶然に任せた方が面白かろう。
2台のピアノを使えば、この「戯れ」を生演奏でできる ことになるが、さすがにそれはラヴェル先生に対して失礼だろうか!?
「新しい実在論」は一方で「わたしたちは物および事実それ自体を認識することができる」(マルクス・ガブリエル(清水一浩・訳)『なぜ世界は存在しないのか』、講談社、2018年、31ページ)としつつも、他方で「物および事実それ自体は唯一の対象領域にだけ属するわけではない」(同)と主張する。なるほど、この論が批判する「形而上学」や「構築主義」よりもこちらの方が多くの人々の実感に合っているようには思われる。
が、「音楽作品」、つまり、その現実化が数多の姿を持ちうるものの「実在」とは何なのだろうか?