このところブゾーニ編集のバッハ曲集への興味が私の中で再燃している。《平均律》を久しぶりに書架から取り出してきてつらつらと眺めてみたが、バッハの音楽に対してブゾーニが発揮した想像力と創造力にただただ圧倒されるばかり。
ところで、ブライトコプフ社から出ている「バッハ=ブゾーニ版」全25巻の中でもっとも版を重ねているのは、おそらく《平均律》と2声のインヴェンションと3声のシンフォニア(ブゾーニ版ではこれも「インヴェンション」と呼ばれている)だろう。だが、もしかしたら、これらの曲集が「バッハ=ブゾーニ版」でブゾーニが目指したことを見えにくくしている可能性が多分にある。というのも、それらのうち《平均律》第2巻以外のものは同シリーズが刊行され始めた1914年よりも20年ほど前に編集されたものであり、その間にブゾーニの考え方がいろいろ変わってしまったからだ。
そのことがよくわかるのが、《平均律》の第1巻(初版は1894年)と第2巻(同1915年)の違いである。すなわち、前者ではピアノ演奏技術の可能性が極限まで追求されていたのに対し、後者では関心の所在はバッハ作品を土台にした「作曲=構成のメカニズム」(同巻の序文中の文言)の探求へと移っているのだ。そのためだろうか、同シリーズ中でブゾーニが編集を行ったのは9つの巻のみであり、残りは弟子のエゴン・ペトリ、そして同じイタリア人のブルーノ・ムジェリーニに任せている。そして、彼らが《平均律》第1巻と同じ流儀で編集をしているのに対し、ブゾーニが手がけた他の巻に見られるのは第2巻の編集と同じ志向だ。
この「同床異夢」を解消するためだろうか、ブゾーニは何と、同じシリーズが完結していない段階で別のシリーズ『バッハ=ブゾーニ全集』をまとめ、公表している。ところが、後者は版が途絶えて久しく、「バッハ=ブゾーニ版」が今でも版を重ねているのだ。ブライトコプフ社にこの「倒錯」を解消するつもりがないのならば、もはや版権が切れているのだから、どこか別の出版社が『バッハ=ブゾーニ全集』の批判校訂版を出せばよかろう(もちろん、このご不景気なご時世ではどの国であれ、その実現が難しいことはよくわかってはいるが……)。
いや、まことにごもっとも: https://www.mag2.com/p/money/1317913
そういえば、来年はブゾーニの没後100年。彼の多方面にわたる仕事のうち現代に活かせるものは何かを改めて考えるよいきっかけになろう。