楽譜で確認できる形式(=目に見える形式)と実際に耳で聴いて認識される形式(=耳に聞こえる形式)は必ずしも一致するとは限らない。それゆえ、分析を楽譜情報に頼りすぎると音楽の実際のありようにそぐわないことになってしまう。ある種の「現代音楽」については言わずもがなだが、たとえば「自由なソナタ形式」など、「自由な○○形式」として説明される曲などでもこうしたことが起こりがちのような気がする。なるほど、作曲家はそうした曲で種々の既存の形式を下敷きにしたのかもしれないが、それとは異なる音楽を考えていたのかもしれず、となると、耳に聞こえる形式をそのまま記述した方がよいこともあろう。