昨日は『義経千本桜』(https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/exp3/exp_new/index.html)の三段目、すなわち、「椎の木の段」「小金吾討死の段」すしやの段」を観(聴き)に国立文楽劇場へ(https://www.ntj.jac.go.jp/assets/files/02_koen/bunraku/2024/R0704haiyaku.pdf)。期待を遙かに超える面白さであり、最後の「鮓屋の段」では深い感動を味わえた。
文楽の筋書きというのはなかなかに複雑なのだが、いざ観はじめると、そんなことは気にならなくなる。とにかく太夫、三味線、そして人形が織りなす劇に引き込まれるばかり。そこには笑いあり、涙あり、人情あり、あっと驚く展開あり、その他諸々、さまざまな要素が実に巧みに1つのドラマに仕立てられている。だから、観て(聴いて)いて少しもだれることなく、3時間弱の上演時間はまことに充実したものだった。
私は文楽の全くの初心者なので見落としや聴き落としは多々あろうが、それにも関わらずここまで楽しめ、感動できるのは、やはりこの文楽という芸能自体の面白さ、そして、演者の芸の見事さによるものだろう。今のところそれを言語化できるだけの経験が自分にはないのでここであれこれ述べられないのが残念。文楽をもっと若い頃に知ることができていればなあ……。いや、今からでも遅くはない。むしろ、この歳になってこうしたものに出会えたことに感謝である。
それにしても、文楽の義太夫節への興味が深まるにつれ、日本語による西洋音楽の「歌」への関心も強まってくる。後者はまだまだ日本独自の様式を確立しているようには思えないが、逆に言えば、これからまだまだいろいろな可能性があるということでもある。というわけで、現代の作曲家の「歌」の創作にいっそうの期待をしたいところだ。