ゲーテの『ファウスト』中の名文句に、「止まれ、お前はいかにも美しい(du bist so schön!)から」(森鷗外の訳。この「お前」はある「瞬間」に対して言われているものなので、「止まれ」の前に「時よ」などといった語が補われることが多い)というものがある。この台詞自体が「美しい」ものなので、元の文脈から切り離して使いたくなるようなものだ。
とはいえ、私はその中の「美しい」という訳語にずっと違和感を覚え続けてきた。なるほど、schönという語の第一義は「美しい」だし、素直にそう訳すとまことに詩的な感じがする。が、この場合には「すばらしい」と訳す方が適切なような気がしてならない。訳さなければこの語の多義性は問題にはならないわけだが、訳すとなると最適な言葉を選ばないわけにはいくまい。それゆえ、「美しい」という訳語がいかに美しくはあっても、私ならば採らない。野暮だと言われるのを承知の上で。