以前、ショパンの第3ソナタのベーレンライター版を話題にした:https://kenmusica.blogspot.com/2025/02/blog-post_4.html。その中で「たぶん、この『元』ヴァリアントが『本文』に昇格することはないかもしれない」と述べたが、今は「いや、もしかしたら……」と思っている。
きっかけはヘンレ社から2023年に出ていた同曲の楽譜を見たからだ(恥ずかしながら最近、その存在に気づいた)。そこではまさにベーレンライター版と同様な処理がなされていたのである(次の頁で試し読みができる:https://www.henle.de/de/Klaviersonate-h-moll-op.-58/HN-871)。いや、これには驚いた。
そこで気になるのが、新批判校訂版を刊行中のピーターズ社がいずれ出すであろうこのソナタの楽譜だ。もし、それがヘンレやベーレンライターの側につくとすれば……。これまでの演奏の伝統があるので、そう簡単には件の箇所を皆が新本文で弾くようになることはないだろうが(通称「別れの曲」のある箇所のように)、長期的にはどうなるかわかったものではない。
もちろん、たとえこの新しい版が主流になったとしても、従来の版が誤っているということではない。それがショパンが書いたものに基づいているのは確かなのだから。だが、それはそれとして、こうした事態に遭遇すると、SFで言われる「パラレル・ワールド」を目の当たりにさせられているような気がして面白い(この場合、件の箇所のどちらの稿を採るかで、世界は異なる2つのものに分岐することになるわけだ)。
ところで、ジム・サムスンは『ショパン 孤高の創造者』(拙訳、春秋社、2012年。品切れで重版未定。たぶん、このまま姿を消すことになろう)第10章でショパンの出版譜について論じる中でヘンレ版も批判していたが、それは古い版、つまり、エーヴァルト・ツィマーマン編集のもののことである。同書の原典が書かれた時点ではその版しかなかったのだが、その後、別の編者たちによる新しい版が出だした(まだすべてが入れ替わっているわけではないので、同社のショパン楽譜を利用する方は要注意)。そして、その中の1つ『バラード集』(ノルベルト・ミューレマン編集)を見る限りでは、それはサムスンの批判を免れるものになっていると思われる(このことは同訳書の訳註で触れるべきことであったと反省している)。
そのヘンレ社の『バラード集』は2008年に出版されているが、これを2006年刊のピーターズ社 のサムスン編集版と見比べると面白い。というのも、両者が「本文」に選んだ稿が異なっており、細部に違いが少なからずあるからだ。私個人の好みでは、第3バラードに関してはピーターズ版を採りたいが、ヘンレ版にもいろいろと教わるところがある。
エキエル版が立派なものであるのは確かだが、それが「ファイナル・アンサー」だというわけではない(そもそも、そのようものは誰の手でもつくりようがないわけだが……)。