2025年12月24日水曜日

ミヨーのブラームス嫌い

  以前ダリウス・ミヨーの交響曲のことを話題にしたが、その後、ますます彼の作品に魅せられている。とりわけ響きの美しさと神秘的なところが私の胸を打つ。今聴いているのは交響曲と弦楽四重奏曲の全曲だが、しばしば「いったい、そこはどんなふうに書かれているのだろうか?」と気になる箇所に出くわす。大学の図書館でいくつかのスコアは借りられたのだが、そうではない曲もいろいろあるのが困りもの。まあ、「求めよ さらば与えられん」ということで気長にその機会を待つことにしよう。 

そのミヨーのヴァーグナー嫌いは有名だが、ブラームスもそれに劣らず嫌っているとは最近まで知らなかった。対話録『音楽家の肖像』(別宮貞雄・訳、音楽之友社、1957年)の中で彼がブラームスのことをこう言っているのには驚いた――「そこ[ブラームスの音楽]に贋の偉大さがのさばり返り、贋の感受性が涙を流しているのを感じ、その展開部における長たらしい駄弁には死ぬ程悩まされるのです」(同書、65頁)。いやはや、何とも激しい嫌いぶりである。ブラームス愛好者の私としては些か受け入れがたい文言だが、当人がそう感じているというのだから仕方がない。そして、このことでミヨーの音楽を私が嫌うようになることもない。