2021年9月29日水曜日

すばらしい作曲家だとは承知しつつも……

  すばらしい作曲家であることは重々承知しつつも、どうしてもその音楽が好きになれない人が私には何人かいる。そのうちの1人が伊福部昭(1914-2006)だ。己の作風と独自の世界を確立し、我が道を行ったこの人の生き方にはまことに尊敬すべきところがあり、また、学ぶべきところも少なからずある。立派な作曲家だと思う。そして、その音楽も「嫌い」なわけではない。が、根本のところで好きにはなれないところがあるのだ。それは何かといえば、あの執拗なリズムの繰り返しと音楽の圧倒的なボリューム(嵩)である。これが私の「容量」を超えているのだ。それゆえ、私は伊福部のことを悪く言うつもりは全くなく、その音楽を楽しんでいる人が多いのもごく当然のことだと思っている。問題はあくまでも受け手の私自身の側にあるのだ。

 なぜ、このようなことを話題にしたかといえば、久しぶりに木部与巴仁『伊福部昭の音楽史』(春秋社、2013年)を再読したからである。同書は伊福部の生涯、作品と思想、そして、彼が生きた時代を生き生きと描き出した名著であり、たまに読み返したくなるのだ。そして、今回もやはりとても楽しく読んだのだが、ついでに伊福部の作品をあれこれ聴き返してみたところ、「ああ、やはり残念ながら自分の容量を超えているなあ」と感じた次第。とはいえ、この作曲家に対して何かしら持っている尊敬の念をも再確認できた。

 その伊福部の盟友が早坂文雄(1914-55)だが、私は彼の音楽は好きである。そして、その早坂から多くを学んだのが武満徹であり、そのことを思えば私が早坂に心惹かれるのも納得がいく。それにしても、早世の人であった早坂が仮にあと10年だけでも長生きしていたら、果たしてどんな音楽を書いただろうか。死の年に初演された交響的組曲《ユーカラ》が何とも興味深い作品であるだけに、なおさらそのことを考えずにはいられない。

 

 松村禎三(1929-2007)は伊福部にも学んでおり、「執拗なリズムの繰り返し」を自分の語法に取り込んでいるが、この人の音楽は私は嫌いではない(どころか、好きな曲がいくつもある)。 なぜかと考えてみると、伊福部の音楽がどこか平面的(これは貶してこう言っているのではない!)なのに対して、松村の音楽が立体的であるからであり、また、どこか「余白」のようなものを感じさせるからだろう。これはおそらく、松村が池内友次郎(1909-91)に学んだことと関係があろう。

 

 

2021年9月27日月曜日

シュナーベルの没後70年

   今年はアトゥー・シュナーベル(1882-1951)の没後70年でもあった。ということは、今から40年以上前に私がクラシック音楽を聴き始めた頃には、まだ没後30年ほどだったことになるが、彼の録音はむしろ現在の方がよく聴かれているのではないだろうか。それは1つにはディスクが入手しやすくなったからであり、もう1つには今の方が種々の情報に容易に触れることができるからだろう。

 シュナーベルは作曲家でもあり、自身の楽器たるピアノのための作品に留まらず(ただし、ピアノ協奏曲はない。ということはつまり、彼は純然たる作曲家として評価されたかったのだろう)、3つの交響曲や5つの弦楽四重奏曲など、少なからぬ作品をものしている。そして、昔はシュナーベルの作品などほとんど耳にできなかったが、今や楽譜も出版されているし、録音もいくつかある(没後70年ならば来年からは演奏が著作権使用料抜きで作品が演奏できるようになるので、もっと演奏や録音の機会が触れるかもしれない)。

 ピアニストとしてのシュナーベルといえば、やはりベートーヴェンの「ソナタ全曲録音」が最大の業績としてあげられよう。それは世界初のものであるだけではなく、今なお聴かれ続けている名演奏である。20世紀後半には「ソナタ全曲録音」は何ら珍しいことではなく、21世紀の今や飽和状態になっているほどだが、果たしてそのうちのどれほどが半世紀上聴かれ続けることになるだろうか? 

 ところで、シュナーベル同様、作曲家でもあるピアニストで「ソナタ全曲録音」を成し遂げた人としては、たとえばイヴ・ナット(1890-1956)、ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)タチアナ・ニコラーエワ(1924-93)、フリードリヒ・グルダ(1930-2000)、ミカエル・レヴィナス(1949-)、野平一郎(1953-)、ファジル・サイ(1970-)といった人たちがいる。彼(女)らのベートーヴェン演奏を専業ピアニストのそれと聴き比べてみると、いろいろと面白かろう。

 

 シュナーベルの録音とのちの人の録音を大きく分かつのは「編集」の有無である。 20世紀後半以降、録音の編集は常套手段と化したが、その見直しがなされてもよいかもしれない。