すばらしい作曲家であることは重々承知しつつも、どうしてもその音楽が好きになれない人が私には何人かいる。そのうちの1人が伊福部昭(1914-2006)だ。己の作風と独自の世界を確立し、我が道を行ったこの人の生き方にはまことに尊敬すべきところがあり、また、学ぶべきところも少なからずある。立派な作曲家だと思う。そして、その音楽も「嫌い」なわけではない。が、根本のところで好きにはなれないところがあるのだ。それは何かといえば、あの執拗なリズムの繰り返しと音楽の圧倒的なボリューム(嵩)である。これが私の「容量」を超えているのだ。それゆえ、私は伊福部のことを悪く言うつもりは全くなく、その音楽を楽しんでいる人が多いのもごく当然のことだと思っている。問題はあくまでも受け手の私自身の側にあるのだ。
なぜ、このようなことを話題にしたかといえば、久しぶりに木部与巴仁『伊福部昭の音楽史』(春秋社、2013年)を再読したからである。同書は伊福部の生涯、作品と思想、そして、彼が生きた時代を生き生きと描き出した名著であり、たまに読み返したくなるのだ。そして、今回もやはりとても楽しく読んだのだが、ついでに伊福部の作品をあれこれ聴き返してみたところ、「ああ、やはり残念ながら自分の容量を超えているなあ」と感じた次第。とはいえ、この作曲家に対して何かしら持っている尊敬の念をも再確認できた。
その伊福部の盟友が早坂文雄(1914-55)だが、私は彼の音楽は好きである。そして、その早坂から多くを学んだのが武満徹であり、そのことを思えば私が早坂に心惹かれるのも納得がいく。それにしても、早世の人であった早坂が仮にあと10年だけでも長生きしていたら、果たしてどんな音楽を書いただろうか。死の年に初演された交響的組曲《ユーカラ》が何とも興味深い作品であるだけに、なおさらそのことを考えずにはいられない。
松村禎三(1929-2007)は伊福部にも学んでおり、「執拗なリズムの繰り返し」を自分の語法に取り込んでいるが、この人の音楽は私は嫌いではない(どころか、好きな曲がいくつもある)。 なぜかと考えてみると、伊福部の音楽がどこか平面的(これは貶してこう言っているのではない!)なのに対して、松村の音楽が立体的であるからであり、また、どこか「余白」のようなものを感じさせるからだろう。これはおそらく、松村が池内友次郎(1909-91)に学んだことと関係があろう。