2021年11月3日水曜日

久しぶりにショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番を聴く

私はショスタコーヴィチよりもプロコフィエフの方を断然愛するが、前者の作品にも好きなものはあるし、「これはすごい!」と感嘆させられるものもある。

今日、久しぶりにそのショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第2番ト短調作品126を聴いてみた(ちなみに私の生年と同じ1966年の作である)。そして、思った。「やはりすごい!」と、彼のチェロ協奏曲としては第1番変ホ長調作品1071959)の方が格段に有名で人気があり、そうした世評にはなるほどと頷けなくもない。こちらの方が端的に「とっつきやすい」からだ。そして、私も第1番が名曲だと認めるに吝かではないものの、第2番の広がりと深さの前には些か物足りなさを覚えてしまう。

なぜ、今日この曲を聴く気になったかといえば、たぶん、このところ読んでいるスターリンの伝記の影響だろう。ただし、それはいわば「連想ゲーム」的な繋がりにすぎない。ショスタコーヴィチの音楽を旧ソ連の社会・政治状況の間に関連がないとは私も思わないが、それを過度に強調したり、「謎解きゲーム」に熱中したりしたくはない。

ところで、その「伝記」というのはオレーク・V・フレヴニューク『スターリン――独裁者の新たなる伝記』(石井規衛・訳、白水社、2021年:https://www.hakusuisha.co.jp/book/b575398.html)だが、これまでに読んだいくつかのスターリン伝とはかなり異なっている。つまり、従来の伝記には盛りだくさんだった彼に関わる種々の興味深いエピソードはほとんど登場せず、とにかく一次資料に基づく記述に徹しつつ、スターリンの行いとその根底にある思考、そして、それが実際にもたらした結果を冷静に描き出しているのだ(たとえば「キーロフ暗殺」については、スターリンが裏で糸を引いていたとする――『ショスタコーヴィチの証言』にも登場する――通説を証拠がないとして退けている)。そして、その迫力は従来の伝記を遙かに凌いでいる。