ドイツの往年の名テナー、ペーター・アンダース(1908-54)が歌う《冬の旅》の録音(1945年)を久しぶりに聴き、今更ながらに驚いた。微妙な、だが現代のものよりは格段に大きく、頻繁につけられている緩急の変化に対してである。以前にはそれほど気にならなかったのは、たぶん、身を入れて聴いていなかったからだろう(恥)。だが、今回はそうではなく、だから驚いたわけだ。
とはいえ、それが妙だなどとは少しも感じなかった。むしろ、そうした「緩急」は歌詞の内容や音楽のつくりに合致しているように聞こえたのである。そこで、慌てて他の同時期の録音を聴いてみると、程度や表現の仕方の違いこそあれ、そうした緩急をつけて歌手は歌っているではないか。
実のところ、そうしたことは器楽曲の演奏に関しては随分昔から知っていたことだが、歌曲ではある時期以降の録音しか聴いていなかったので、その当たり前のことに気づかなかったのである。そして、今、昔の唱法に面白さを感じているところだ。
現在の唱法はアンダースらの流儀とかなり違うが、そうなる理由があったのだろうし、そうした変化自体が面白く感じられる。そして、今後、歌曲の唱法がどのように変わっていくかにも大いに興味が持たれるところだ(が、それ以上に私が関心を持つのは、日本語歌曲の唱法がもっとよいかたちに整備され、また、日本語にもっとしっくりくる歌曲が生まれることである)。
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ちなみにアンダースは若くして亡くなっているが、死因は交通事故だとか。あの困難な戦争の時代をせっかく生き抜いたというのに……。それもまた「運命」というものだろうか。
私が好きなドイツ人テナーのフリッツ・ヴンダーリヒ(1930-66)が亡くなったのはそのアンダースよりもさらに若いときだった。生きていれば、まず間違いなく《冬の旅》全曲も録音していたことだろう。聴いてみたかったなあ。