2023年5月12日金曜日

メモ(96)

  日本語のリズムとイントネーションは諸外国語とはかなり異なっている。のみならず、声の出し方も。すなわち、日本語話者は概ねあまり口を開けずに、口先で発音しているのに対し、その他外国語話者の多くは喉の奥から音吐朗々と声を響かせる。こうした違いは、もしかしたら、物事の考え方や感じ方にも何かしら反映されているのかもしれない(もちろん、そのどちらがよいとか悪いとかいうのではない)。

 

  あらゆる意味で出不精な私にとって、世界のどこへでも平気で出かけてゆく探検家・冒険家というのはおよそ異なる思考・志向の持ち主であり、全く別の生き方をする人たちである。が、それだけに、自分には直に触れることのできない異世界のありようを垣間見させてくれ、いろいろなことを考えさせてくれる彼ら冒険家の文章を読むのは実に楽しい。

 今日もそうした本を1冊読了した。高野秀行『語学の天才まで1億光年』(集英社インターナショナル、2022年)がそれだ(https://www.shueisha-int.co.jp/publish/%E8%AA%9E%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%81%BE%E3%81%A7%EF%BC%91%E5%84%84%E5%85%89%E5%B9%B4)。同書は外国での探検に欠かせない道具たる「語学」との著者ならではの関わり方、そして、さまざまな言語自体への「探検」を語ったものなのだが、あまりの面白さにあっという間に読み上げてしまった。

 同書を読み、やはり語学は各人が必要に応じて、それにふさわしい関わり方をした方がよいと改めて強く思った。そして、小学生のときから英語学習を強制される子供の不幸に胸が痛む。今からでも遅くないから、何とかならないものか。