昨晩はGoogle Meetを用いて松本清先生と3時間に及ぶ四方山話をした。いろいろな話を伺ったが、その中にはこの3月に亡くなられた先生の兄上、松本日之春(1945-2023)氏のことも含まれる
日之春氏は元々は「現代音楽」の最先端を行っていた人だが、ある時期以降、それをきっぱり捨てている(実のところ、そうした作曲家は少なくなく、そうなると改めて「『現代音楽』とは何だったか?」と問い直したくなるところである)。その辺りの事情についてはご本人も公の場で語っているが(https://www.youtube.com/watch?v=Uj_nDYC71VY)、清先生にもまた違ったふうに述懐しており、それを伺って「なるほどなあ」と唸らされた。まさに「人生いろいろ」である。そして、私は日之春氏の脱「現代音楽」後の作品の方に親しみを覚える。
そして、そうした日之春氏の音楽家としてのあり方に(良くも悪くも)大きな影響を及ぼしたのが父、民之助氏の「猛特訓」であった(上の動画を参照)。ところが、清先生はこれとは違った教育を受けたとのこと。すなわち、最初に楽譜を「書き写す」ことではなく、大量の音盤を「聴く」ことを課されたというのだ。そして、清先生曰く、それが2人の作曲家としての性格の違いにも現れているとのこと。これはなかなかに興味深い話である。
ところで、坂本龍一は日之春氏とはそれなりに交流を保ち続けたが、清先生とはそうではなかったという。が、日之春氏が亡くなってすぐに、その坂本氏が清先生のところに電話をかけてきた(会話をしたのは50年ぶりくらいのことだったとか)。用件はといえば、氏が少年時代に書いた曲の楽譜の返却を請うものだったという(これは「終活」の一環だったのだろう)。その「楽譜」は日之春氏が保存していたものだが、氏が亡くなってしまったので、弟の清先生に連絡が来たわけである。そのように習作を消去したくなるのは創作者としてはまあ当然のことであり、先生はこっそり複写を取るようなことはもちろんせず、そっくりそのまま返却し、それから程なく坂本氏の訃報に接することとなった。まるでドラマの一コマのようではないか。
他にもいろいろと興味深い話題があったが、それについてはいずれまた。