2023年5月14日日曜日

以前、「2019年も終わり」という投稿で

 以前、「2019年も終わり」という投稿で次のようなことを述べた。

 

来年は「ベートーヴェン・イヤー」ということになっている。それはそれでけっこうだが、もし、音楽会の企画がベートーヴェン優勢になりすぎるとすれば、クラシック音楽界の未来は限りなく暗いと言ってよい。他にも優れた作曲家は何人もおり、作品もいろいろあるのだから。さて、果たしてどうなることやら。

 

そこで言いたかったのは、ベートーヴェンの音楽自体への批判ではなく、あくまでも演奏会の企画のマンネリや貧困さへの批判である。それゆえ、「ベートーヴェン」の名は他の有名作曲家、音楽史で「巨匠」として遇されている人たちの名――バッハ、モーツァルト、シューベルト、ショパン、ete.――に置き換えてもかまわない。とにかく、いかにすばらしい作品、名作であろうとも、過度に繰り返し取り上げられるとなれば、「そんなものにはつきあいきれない」と思っている聴き手は少なくないのではないか。

 もっとも、こう言うと「実際に客を呼べるのは大作曲家であり、その名曲だ」と反論されよう。なるほど、今のところはそうかもしれない。だが、これからはどうか? 演奏会の客席を見渡すと、若者の数の少なさ、言い換えれば聴衆の高齢化に驚かされないわけにはいかない。すると、そうした聴衆がいなくなったら、どうなるのだろう? 新たに若い聴き手を呼び込めないことには演奏会、ひいてはクラシック音楽界は衰退するしかあるまい。

 では、どうすればよいのか? 1つは「(必ずしも「知られざる名曲」だけによるものではなく、有名曲をもうまく活用した)演奏会企画の工夫」であり、もう1つは「魅力的な新作の安定供給」であろう。いずれもそうたやすいことではないかもしれないが、その気になればイノヴェィションをできるだけの潜在的な力を現在の音楽界は十分持っているはずだと私は思う。とはいえ、ぐずぐずしているとその可能性も失われてしまう(こうした「イノヴェィション」の必要性と可能性は音楽に限った話ではなく、過去の遺産を急激な勢いで食いつぶしてしまったこの国の多くの場面で言えることであろう。今の調子ではno futureだが、まだ何とかできる余地があるはずだ(と思いたい))。

 

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