このところ自分の中でシェーンベルクへの興味が再燃している。ただし、それは音楽史絡みのものではなく、もっと即物的なものだ。すなわち、「シェーンベルクが生み出した音楽のうち、今日でも作曲や演奏にとって『使える』部分はどこにあるのか?」ということである。
こうした興味はシェーンベルクに対してだけではなく、20世紀の「現代音楽」のさまざまな試みに対して私が抱いているものだ。「焼き畑農業」式に繰り広げられた「現代音楽」の創作だが、過去のそれを「もう終わったこと」として顧みないのではあまりにもったいない。そして、シェーンベルクほどのビッグ・ネームについてさえ、「今でも使える部分」という観点から、いろいろと面白いこと、有益なことが見えてくると私は思う。
シェーンベルクやその門弟たちの作品を聴いて私が面白く感じるのは、その「技法」ではなく、直接聞き取れる音のありようである。たとえば、ほとんど「紙の上」でしか確認できないような、音列がどのように巧みに用いられ、音楽が堅固に構成されているかといったことは、私にとってはほとんどどうでもよいことだ。
小室直樹の『危機の構造』(1976年初版、2023年新装版:https://www.diamond.co.jp/book/9784478116395.html)を読んでいるが、ほぼ半世紀前に書かれたこの本でなされている日本人の思考・行動様式に対する診断は今でもそのまま当てはまるようだ。恐ろしいことである。