焦元溥(森岡葉・訳)『時代を超えて受け継がれるもの――ピアニストが語る!』(アルファベータブックス、2022年:https://alphabetabooks.com/lineup/1073/)を読んでいる。同書は「現代の世界的ピアニストたちとの対話 」と銘打たれたシリーズの第5巻にあたるが、既刊の4つの巻同様、まことに読み応えがある。私もピアノ音楽は大好きだし、古今東西のピアニストに関心がありはするものの、この著者の造詣の深さには私など足下にも及ばない(どころか、お釈迦様の手のひらの上をとびまわる孫悟空のようなものだ)。それゆえ、実に教わるところが多いし、いろいろなことを考えさせられる。
同巻のインタヴューに登場する1人にユジャ・ワンがいるが、面白い一節があった。曰く、「ブーレーズ《ピアノ・ソナタ第二番》も弾いてみましたが、何か特別なものを感じることができず、自分の聡明さや技巧を誇示するために弾こうとは思いませんでした」(前掲書、246頁)。まず、そうした作品に一度はきちんと目を通しているところはさすがだし、その上で世間(「現代音楽」業界?)の評価など気にせず、自分で判断を下しているところがすばらしい(誤解しないでいただきたいが、私は何もブゥレーズの同曲を弾くピアニストを非難したいのではない)。その一方で彼女は「同じ現代作品でも、リゲティ《練習曲》には共感を覚えます」(同)と語っており、事実、CD録音でも何曲かが取り上げられている(いずれ「全集」が完成することを期待したい)。ともあれ、今後もこのユジャ・ワンの活躍が楽しみである(久しぶりに実演にも触れてみたいものだ)。
先ほど、近所の公園からラジオ体操の音が聞こえていた。その時点で夜の8時過ぎ(というわけで、録音を用いていたのだろう)。公園に面している家々ではさぞかし喧しいことだろう。我が家はほんのわずかだが離れているので実害はそれほどではないが、やはり不愉快である。いったい、かかる振る舞いをする人たちは何を考えているのだろう? いや、何も考えていないのだろうなあ。だからこそ、よけいに困る。