私にとって春が終わってから秋が来るまでは、暑さにひたすら耐えねばならない、まことに憂鬱な時期である。が、そんなときにこそ、涼を求めて聴きたくなる音楽もある。ギター音楽もその1つだ。というわけで、今日もまた。……いや、それは理由の1つにすぎない。以前からずっと聴いてみたかったギタリストの演奏会があったので出かけてきたのである(が、猛暑だったなあ)。
それは何かといえば、「朴 葵姫 ギターリサイタル」(於:ザ・フェニックスホール(大阪) https://phoenixhall.jp/performance/2024/06/14/21269/)だ。実はこの人の公演はコロナのために1回お流れになっており、それだけに仕切り直しの機会を待ち望んでいたのだが、その期待を十分に満たしてくれる演奏会だった。演目は次の通り:
・D. スカルラッティ:ソナタ K. 32, 178, 391
・J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番
(休憩)
・J.S.バッハ:リュート組曲 BWV998
・A. バリオス:最後のトレモロ
・A. バリオス:大聖堂
・J.S.バッハ:シャコンヌ
(アンコール演奏:・タレガ:アランブラの思い出)
以上である。
朴が奏でる音楽はまことに自然体であり、気張ったところがない。大バッハの編曲もの(とりわけ、〈シャコンヌ〉)などではヴァイオリンの原曲が緊張と迫力に満ちたものだけに、ギターでもその再現を試みるかといきや(もちろん、それが悪いというわけではない。事実、そのようにした名演もいろいろあるのだから)、些か拍子抜けするほどに音楽は淡々と進んでいく(ただし、必要なことはきちんとやっており、決して平板な表現ではない)。だが、聴き続けていると、「ああ、なるほど、こんなやり方もあるのだなあ」と私も次第に引き込まれていったのである(それこそ、原曲を仰々しく弾きすぎる少なからぬヴァイオリニストの音楽づくりに疑問すら覚えてくるほどに)。たとえば、〈シャコンヌ〉で長調に転調するところの入りなど、表現はまことに慎ましいのに何と感動的だったことか。
ほかのどの曲でも演奏はすてきだった(し、選曲も巧みだった。スカルラッティとバリオスはそれ自体、曲も演奏もよかったが、これらがあることで私はJ. S. バッハをいっそう面白く聴くことができた)が、もっとも心惹かれたのは大バッハのリュート組曲だ。朴が紡ぎ出す調和に満ちた音調に耳を傾けていると、自分の心もwohltemperiertされていくのを感じた。いや、それはこの日の演奏すべてについて言えることなのかもしれない。というわけで、そのような音楽を聴かせてくれた演奏者(と演奏会の企画・運営者)に深い感謝を。どうもありがとうございました。いつか、この人が弾くフェルナンド・ソルを聴いてみたいものだ。