2024年6月15日土曜日

かくも円安だと

  ある時期以降、楽譜屋に行っても輸入楽譜にはなかなか手が出せなくなっている。言うまでもなく円安の影響だ。とにかく、数年前と比べて驚くほどに売価が上がっている。となると、私のように稼ぎが少ない者にとっては、「じゃあ、別に買わなくてもいいや」ということになってしまう(その分、国内版の楽譜に手が伸びる……かも)。そして、手持ちの楽譜を入念に読み直すことになるわけだ。同じことは輸入CDなどについても言える。これから新たに何も買わなくても手持ちのものだけで余生を楽しく過ごすに十分だと思える(これは強がりだけでこう言うのではない。少年時代、数少ない手持ちのLPをいったいどれだけ繰り返し聴いたことか。そして、そうした昔のことを思えば、今の暮らしにさほど不満を感じない。この国のデタラメさについては話は別だが)。

 というわけで、ここ数日、ブゥレーズのエラート録音CDボックスを聴いている。これは半ば「積ん読」(ディスクの場合、どう言えばよいものか?)に近い状態だったのだが、往年の「現代音楽」作品に触れると、「ああ、こうした音楽がアクチュアリティーを持っていた時代があったのだなあ」と心穏やかに楽しむことができる。もちろん、それはそこに収められている作品と演奏がそれなりの水準にあるからだ。とともに、やはりそれが今となっては「歴史の一齣」だという意識が私にあるからだろう。仮にそれらの作品を「今現在」のものとして聴かされたならば、「もうそんなふうに『現代音楽』をやるような時代じゃないのに」と思うことだろう。が、「現代音楽」ではない「現代の音楽」に出会える希望を私は決して捨ててはいない。