2025年3月14日金曜日

「歌い方」の違い

  次にあげるのはリストの《愛の夢》第3番をドイツ人ピアニストが弾いたもの:https://www.youtube.com/watch?v=BByu4FojkHw。

 この同じ曲を国際的に活躍する日本人ピアニストの演奏で聴いてみよう:https://www.youtube.com/watch?v=r5hZEtB7qdg。

 さて、この2人のピアニストの演奏を聴き比べて、前者を好むという人もいれば、後者がよいと感じる人もいるだろう。それは聴き手の好みの問題であり、どちらか一方の演奏が絶対的に良いということも悪いということもない。どちらもそれぞれに立派な演奏である。

 ところで、この有名なピアノ曲の原曲は同じ作曲者の歌曲《おお、愛せるかぎり愛せよ!》である:https://www.youtube.com/watch?v=h8AFIoD9raM。これを何度か歌の強弱リズムとイントネーションに注意しながら繰り返し聴いた上で、もう一度上の2つのピアノ演奏を聴く比べていただきたい。すると、両者のピアノでの「歌い方」――2人めの流儀は多くの日本人ピアニストが共有しているもの、つまり、「日本語のリズム」に基づくもの――の違いが聞こえてくるはずだ(繰り返すが、その「違い」は演奏の良し悪しとは別次元の問題である)。

 

2025年3月13日木曜日

ラフマニノフにとってのニ短調

  万人に共通して感知される「調性格」というものはないにしても、1人の作曲家の中には(自覚の有無はさておき)あるかもしれない。すなわち、ある作曲家の作品全体を見渡したとき、特定の調よる作品に何か共通した性格が見られる、ということだ。

 この点で今日、ふと気になったのがラフマニノフ。彼の交響曲とピアノ・ソナタの第1番はともにニ短調である。また、ピアノ協奏曲の中でもっとも力が入っている第3番もまた。そして、米国に亡命後に書かれた唯一のピアノ独奏曲たる《コレッリの主題による変奏曲》も。すると、「ラフマニノフとってニ短調という調は何か特別の意味を持っているのかも」と考えたくなるところだ。

2025年3月12日水曜日

教育者としても偉大なシェーンベルク

  音楽理論の実習書では説明の中で「間違い」の例があげられてはいるものの、それはさほど多くはない。そして、課題の解答例がある場合、正解としてたいていは1つしか例があげられていない。

 なるほど、教師の下で学ぶ者にとってはそれで十分かもしれない。必要な補足説明は直接教師から得られるのだから。が、独習者はそういうわけにはいかないので、たいていの理論実習書は「痒いところに手が届かない」。

あくまでも私の知る限りのことだが、その例外的存在がシェーンベルクの対位法教本だ。そこでは2声対位法に限ってだが、1つの定旋律に対して「間違い」も含めていくつもの解答例が示されており、その訂正の仕方も含めて丁寧な設営がつけられている(ケクランの対位法教本(これも名著!)も1つの課題に複数の解答例が示されており、説明も詳しいが、「間違い」を含む解答例はあげられていない)。

もちろん、シェーンベルクは独習者向けにそうした教本を書いたのではなく、自分の授業内容を文書化したのだろう。が、だとすれば、彼がまことに懇切丁寧な教え方をしていたということがそこからわかる。つまりは、彼は作曲家としてのみならず、本格的な修業をする弟子に対してはもちろん、初級者に対する教育者としてさえも偉大だったわけだ。

2025年3月11日火曜日

シェーンベルク晩年の生徒がこんなことをしていたとは……

  いやはや驚いた。シェーンベルク晩年の生徒にして、彼についての研究書も著しているディカ・ニューリン(1923-2006)がまさかこんなことをしていたとは……:https://www.youtube.com/watch?v=79JDD5gHR1k。なんともcoolではないか。やはりシェーンベルクの生徒だった(こともある)ジョン・ケィジ同様、ニューリンのこの「尖った」ところは師匠に負けてはいない。

2025年3月10日月曜日

ライナー・リーン

  ドイツ・グラモフォンの「アヴァンギャルド」シリーズ(21枚組)中のジョン・ケィジの音楽を収めたCDを再聴した。演奏はライナー・リーン(1941-2004)指揮のアンサンブル・ムジカ・ネガティヴァ。

このコンビは(今は亡き)EMIからもケージ作品集を出しており、私は昔々こちらの方を愛聴していた(当時はLP。ただし、すでに廃盤だったので中村(金澤)攝さんから借りてカセット・テープにコピーした。その後、このディスクがCD化された際には購い、今でも時折楽しんでいる)。

「ムジカ・ネガティヴァ」という名前はいかにも60年代後半に若者だった人がつけそうな名前である(「これはアドルノに由来するものだろうなあ」と思っていたら、やはりそうだった:https://www.deutschlandfunkkultur.de/das-ensemble-musica-negativa-music-before-revolution-100.html)。そして、そこで取り上げられた音楽もまた、既存の芸術音楽を「否定」するものだった。

だが、「否定」はいつまでも続けられるものではない(とはいえ、このアンサンブルの最後の演奏は1992年だとのこと)。その後リーンは有名なMusik-Konzepte叢書を創刊して編集者となり、さらにはフランクフルト(アドルノの生地!)歌劇場の顧問も務めている(https://www.mqw.at/institutionen/kulturmieterinnen/artists-in-residence/2010/rainer-riehn)。もちろん、それらの活動の中にも「否定」の精神は生きていたことだろう。20世紀後半の芸術音楽史の登場人物の1人してなかなかに興味深い存在である。

2025年3月9日日曜日

石川健人《Addictive Circuit for Orchestra》を楽しく聴く

  今日、NHK-FM「現代の音楽」で放送された石川健人《Addictive Circuit for  Orchestra》はなかなかに楽しい作品だった。それは聴いている最中だけのことではなく、その後にも余韻が残り、「ああ、もう一度聴いてみたいな」と思わせるものだったのである。

放送では《メルティングポットを超えて Ⅱ》という作品も取り上げられたが、これは時間の都合により途中でカットされた。「残念!」と思っていたら、YouTubeに音源があるではないか(https://www.youtube.com/watch?v=12TsPx4nhag)。というわけで聴き直してみたが、やはり面白い。この作曲者はまだまだ若い人なので今後が大いに楽しみだ。

 

 同じくFMの「名演奏ライブラリー」も聴いていたところ、マルチヌーのヴァイオリン・ソナタ第3番に強く惹かれた(今日聴いた演奏とは異なるが、楽譜付きのものをあげておこう:https://www.youtube.com/watch?v=At6IGdHQbZE)。プロコフィエフより1歳年上のこの作曲家のことは嫌いではなかったものの、積極的に聴いてきたわけではない。が、今日、たまたま聴いたこのソナタには驚いた。「こんな面白い作品を書く人だったのか!」と。ということはつまり、これまでこの人の作品をきちんと聴いていなかったか、もしくは自分の聴き方が変わったかdのいずれかであろう。ともあれ、これからもっとマルチヌーの音楽を知りたいと思った。

2025年3月8日土曜日

もちろんラフマニノフは「十九世紀ロマン派の音楽家」などではない

  かつて音楽史におけるラフマニノフの扱いは酷いものだった。たとえば、次のように――「まったく、十九世紀ロマン派の音楽家だ。そうして、ピアノ協奏曲にしても、チャイコフスキーの後塵を拝しているにすぎない」(『吉田秀和全集・第7巻』、197頁。なお、この一節は1961年に刊行された『私の音楽室』中のもの。それゆえ、その後、同書の著者が考えを改めている可能性はあろうが、その点は未確認。あくまでもかつてこういう意見があったということを示すためにのみ引用した)。だが、今やこんな馬鹿げたことを言う人はいないだろう。ラフマニノフは(19世紀のものを多く受け継ぎ、創作に活かしていることは間違いなにいしても)れっきとした20世紀の作曲家であり、彼の作品には独自性がしかと刻印されているのだから。

 先の引用でチャイコフスキーの名が出てきたが、その有名なピアノ協奏曲第1番とラフマニノフの第2番を比べてみれば、後者が決して「後塵を拝しているにすぎない」わけではないことはいろいろな面から容易に見て取れる。たとえば、第1楽章主要主題が弦楽器によって奏でられるときのピアノの音形。チャイコフスキーなどの19世紀の作曲家ならば、こうした場面ではもっと規則的ですっきりした書き方をするものだが、ラフマニノフはそうはしてしない(次の動画の楽譜を参照:https://www.youtube.com/watch?v=3x0SSK_UWxU)。それはかなり複雑な動きをしており、独特の「うねり」を生み出している(このくねくねした曲線を見て、同時代の美術のユーゲント・シュティールやアール・ヌーヴォーを思い浮かべるのは私だけではあるまい)。この箇所以降にも「十九世紀ロマン派の音楽家」の流儀とは異なるもの、そして、もっとのちの時期のいっそうモダンな作風に繋がる要素がいろいろと見つかるはずだ。